森のおすそわけギフト。

01 26, 2017
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睦月 新月

1月7日の七草粥の問題にご応募頂き正解されたNさんへ、森のおすそわけギフトセットを贈りました。

正解は、
1、ヨモギが何故かいる
2、セリがクレソンに代わっている

でした。お見事!

575A5923.jpg ←クリック&ご確認を。


実は、年明けの投稿「御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。」で紹介した梅の花酒を贈るつもりでいましたが、正解された方が出産後の子育て中だったので、代わりに子育ての合間に森を感じ楽しんでもらえそうなものに変更しました。


折角なので、このblogでご紹介したものを中心に集めてみました。

*セイタカアワダチソウのお風呂/脚浴エキス用セット
*ヤマブドウのコンフィチュール
*山椒の塩漬け入り ちりめんじゃこ
*cotoriの森の小さな畑で育てた綿の種
*森の絵はがき(photo by Coo)


蝋紙と愛用のナイフ、小瓶に包装紙、小さな箱とマスキングテープを用意し、「はてさて、これらをどう詰めましょか」と考えるのも楽しかったです。

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草木染めした毛糸でオシャレさせて。

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セイタカアワダチソウの爽やかな香りがホンノリして。


レターセットとペンを取り出し、森のお裾分けについてひとつひとつ綴り、その日の森の事や他愛のないこと、こうして森で繋がれることが嬉しいことを伝えた手紙を添えました。


そうして、山を下りて里へ。「小包お願いします。」
無事に届きますようにと祈りながら、小包が運ばれてゆくのを見送るのでした。



数日後、Nさんからお返事が届きました。ギフトのひとつひとつがNさんの幼少時代の思い出と繋がるそうで、その素敵なストーリーも綴られていました。

はじめての子育ては大変そうだけれど、可愛くて仕方ないのが伝わってくる微笑ましい言葉たち。左腕に赤ちゃんを抱きながら書いてくれているのが伝わる字の踊りもあったり。

そんなNさんの柔らかな暮らしの中に、この森の一部たちを混ぜてもらえたことが、私はとても嬉しいのでした。



Nさんが最近お気に入りのお店のお菓子も贈ってくれました。子育ての合間に気分転換にゆくお店なのだそう。山暮らしでの甘いものは、自分で作るしかないことも。丁寧にお茶をいれ、一口一口の幸せを味わい頂きました。



こちらの暮らしと、そちらの暮らしがクロスする。
森と街が繋がり行き来する。


「森のお裾分けギフト」は、はじめての試みでしたが、私の方が思いがけず素敵なギフトを頂いた想いでいっぱいです。




今回の企画は、こういう森のお届け方があってもいいなと以前から思っていたので、そのお試しでもありました。


時々森からの季節の便りが届く。小さな森と手紙も添えられて。(森へのインパクトも考えると、数極限定で、今回ほど色々詰め合わせセットではないけれど)。そういうことを、私の極親しい人やお世話になっている方々たちだけでなく、このヒッソリとしたblogを読んでくださっている方々にも、いつかお届けできたらいいなと考えています。

ご興味のある方がもしいらっしゃるならば、今後ゆるりと小さな森のお届け先を募れたらと思います。その準備ができたらお知らせさせてください。



先ほどから、ジョウビタキがパソコン横の小窓に何度も来てはホバリングしています。黒猫のヤブさんは陽だまりでお昼寝中。
どうやら呼ばれている様なので、ちょっと森に出かけましょうか。


皆様も、どうぞ穏やかな一日を。

「狐と葡萄」のホットミルク。

01 20, 2017
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睦月 月齢22

ヤマブドウ。
それは、私にとって幼い頃覚えた味と物語に繋がる。


実家の近くでヤマブドウが採れたわけではない。
私にとって、ヤマブドウは街の味なのだ。


年に何度もないけれど、母と一緒に街に買い物に出かけると、帰りに喫茶店に連れて行ってくれることがあった。
カウンター席しか記憶にないが、とても小さいお店だったことは確かだ。

大通りからは外れた、何度行っても覚えられないその路地に、その店はあった。
長細い店内、暗い部屋に映える窓からの僅かな射光、奥から聞こえる掠れた音楽、そして珈琲の香りと湯気の湿り気。
カウンターの椅子が高く、私は母にひょいっと持ち上げてもらって席につく。

色とりどりで形も様々な珈琲カップが、店主の背景に隙間なく並べられている。
その店を訪れるお客さんの数だけ専用のカップがあるのではないかと幼心に思っていた。
実際、母は言わなくとも、いつも同じお気に入りのカップにサーヴされていたからだ。


カウンターの上にもカップやグラスなどが置かれていて、私からは店主の顔は見えず、グラスの間から時折見える手を眼で追っていたので、何か聞かれても私はキチンと答えられていたとは思えない。
珈琲を入れるサイフォンが秘密道具のように映り、その店に行くと眼に入るもの全てが魔法に見えて、言葉を失うのだ。


店主の女性は、当時の母と同じくらいの歳だったと想像する。
私たちが行くといつも、声を大きく弾ませて店の奥へといざなってくれた。
顔は全く覚えていないのに、店主の笑顔のイメージだけは感覚として今も残っている。


母は、誰も知らない田舎の地に嫁ぎ、友だちもほとんどいなかった(作らなかった、という方が正しいか)。
だが、この店の店主とどう知り合い、仲良くなったのかは謎だけれど、幼なじみなのかと思うほど話に花を咲かせていた。


話をしながら、店主は注文もしていないのにカップとグラスを手元に呼ぶ。
母には珈琲、私にはヤマブドウのジュースと決まっているのだ。



グラスいっぱい満たされたクラッシュドアイスが、ヤマブドウの鮮やかな紅紫色が徐々に染まってゆく。
そのグラデーションが落ち着き、並々と注がれたそこにストローが身を浸ける。

そっと差し出される白いコースターと魅惑色したヤマブドウジュース。
クビをキリンのように伸ばしてストローと出会う。




ヤマブドウよ、ようこそ、私へ。




私はこのヤマブドウのジュースが大好きだった。
本当に大好きだった。

葡萄ジュースみたいにしつこく甘くなくて、酸っぱい。そして爽やかな甘味が残る。
ゴクリとすると、アゴと耳たぶの付け根境あたりがキュンと喜ぶ。

未だに忘れられないご褒美の味。



この店に行く時、母は「アスカ」と呼んでいたが、店の名前だったのか、店主の女性の名前だったのかはわからない。
店の情報は何一つ知らないまま。今でもあるのかすらもわからないし、母にも尋ねない。

森の味を街で。

それは、中々良いものだった。


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ヤマブドウのコンフィチュールを。
冷凍したものでも作りやすい。
鍋に残るこの色がたまらない。だからホーローの白鍋で作ると決めている。

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幼い頃覚えた物語がある。
イソップ童話の「狐と葡萄」だ。

あの中で、狐が一生懸命ジャンプしてもどうしても届かない葡萄は、ヤマブドウのことだと私は思っていた。
「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と狐は捨て台詞を吐いて去る。

ヤマブドウは葡萄に比べて実も小さいしシワシワになりやすく、酸味が強い。
葡萄を食べられなかった狐の負け惜しみだったのかもしれないけれど、酸っぱい葡萄=ヤマブドウだって美味しいのにな。と思っていた。
そして、「食べてみないとわからない」という教訓だと解釈していた。


いずれにしても、狐くん、「届かぬものは残すためのもの」ってこと。
私はそう思うよ。


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鍋に残ったヤマブドウのシロップ状になった液がもったいない。
ミルクを注いで、ホットヤマブドウミルクにする。
これは、ちょっととっておき。

酸味を残したいから、ジャムではなくて軽いコンフィチュールに。
コンフィチュールはヨーグルトやクリームチーズと一緒にクラッカーに添えても美味しい。


大人になった今、そんな楽しみも覚えましたよ、アスカさん。


狐が雪の中をジャンプしている姿をイメージしながら、遠い記憶が暖かい。
そんな一息をいれられる午後が嬉しい。


大寒。
心暖かくお過ごし下さい。



アルデバランと月が重なるところで。

01 09, 2017
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睦月 月齢11


嵐が吹き荒れた一夜。


樹々が倒れはしまいか。
あの小さな鳥の巣は落ちはしまいか。

黒猫のヤブを腕に、大丈夫だよ、きっと大丈夫。と布団に潜り込む。

森の唄は一晩中響き渡っていた。



眠り方を忘れたかのように迎えた朝。
嵐が通り過ぎてゆくのを見守っていた。



(どうせ眠れないのなら、嵐の森で一夜を過ごせれば良かったのに)



静まり返った空を確認すると、少し安心したのか眠りについた。


夢をみた。


森の夢だった。




目が覚め森に出かけた。

気づくと日が暮れはじめていた。


蝋梅の香りが辺りに漂いはじめた。

空の色が濃くなるほどに、その香りも濃度を増していった。


むせび泣きを誘うほどに、美しい香りだった。


闇が森を包んでいった。

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ほのかな光りが灯る。
野生動物が動き出す。

その温度に確かな安堵感を覚える。


私という命もまた、ここに生きているということを、
痛いほどに知らされるからだろうか。


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雲間から見え隠れする月に問うてみる。

(私から森をとったら、一体何が残る?)


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今宵、この夜空に繰り広げられる天体ショー、アルデバラン食。


アルデバランと月が重なるところで、

天体たちはどんな言葉を交わすだろうか。


その微かな音に耳を傾け、ウツラウツラする夜が今夜もやってきそうだ。



P.S.

そちらの森はいかがですか。
あなたが書いた「くぅちゃんへ」という文字を指でなぞっては、ほんのり想い、
あなたと、あなたの大切なものたちに会いたいなぁと、ぼんやり想っています。



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野草粥のススメ 〜七草粥〜

01 07, 2017
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睦月 月齢8


澄み渡った青空、ヒンヤリとした空気。
冬らしい日だった昨日、七草を集めにいきました。


お正月をはじめ、日本の風習は実に美しい。
1月7日の朝に七草粥を頂く風習も然り。


現代では七草粥を「正月のご馳走で弱った胃に」という考え方もありますが、冬のこの時期の「若菜摘み」自体に、無病息災を祈って行われていた習わしは元々あったそうです。

小寒に入り冬が本格的になると畑の青菜が少なくなるので、野草を摘んで栄養を頂くということだそう。

「春の七草」と呼ばれる通り、もう少し先に開花するものの、花開く前の冬の寒さにも負けじと葉を広げている野草や野菜は、実に強いエネルギーを備ていると思いませんか。


というわけで、いざ若菜摘みへ。


【春の七草】
セリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ(ハコベ)・ホトケノザ(コオニタビラコ)・スズナ・スズシロ。


スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)が家にあることを確認して、残り5種の野草求めて山を下り里へ。

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この季節、遠目では一見、乾枯し荒涼とした景色に思われがちですが、

その足元には若葉が広がっています。

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このフレーム内に何種類の野草を見つけられますか?

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この2つの写真内だけでも食べられる野草でいっぱいです。

そう聞くとワクワクしませんか?(私だけかしら?)

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まずはハコベ。

見つけやすい上にボリュームあります。
ですが、味が主張するので量的に集めやすくとも控えめがオススメです。

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注意したいのが、
七草でいう「ホトケノザ」は、↑この「ホトケノザ」ではなく、コオニタビラコ(小鬼田平子)のことです。

それにしても、この時期に咲く野の花というのは、可愛さ倍増!

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「ゴギョウ」はハハコグサのこと。

白いベルベット状な葉は、見つけやすいですね。


という具合に、フラフラ散歩。

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山に戻り、フラフラ。

もう紅梅が満開です。

見とれていると、エナガご一行が近寄ってきました。

私は鳥の中でもエナガちゃんが特別大好き。
彼らは手が届きそうな距離まで(時に羽ばたきの小さな風を頬で感じられるほどに)近寄って来てくれる愛嬌良し。

ご一行が通り過ぎてゆくのをフンワリと待つことほど幸せな時間はありません。
もうお粥のことなんて忘れてしまっても良いくらい。

(そもそも、ここまで戻って来てしまってはセリには会えないし・・・
ナズナもコオニタビラコも、見つけられなくはないだろうけれど、ここまで満たされてしまったら、もう十分無病息災祈願済みだよ、きっと・・・)

と思いながら歩き出すと・・・

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オニタビラコ。
コオニタビラコではないことに溜め息。

と、思わず溜め息をついてしまった自分にハッとする。
「溜め息!? オニタビラコに出会えたんだよ!この季節に!しかも花ついているじゃないの!」


目的をもって野草摘みをする上での盲点。

こうなると、申し訳ない気持ちが勝って、オニタビラコで手を打つか・・・なんて気すら到底起きるわけもなく・・・
(そもそも、コオニタビラコとオニタビラコは似て非なるものだけれど)

ふと、手がかじかみはじめている事にも気づくと、夕焼けが色濃くなっていました。

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梅も夕焼けておりました。
辺り一面、梅の花の香りで包まれています。

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(もう帰ろう)

と歩き出す先に、、、

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夕焼けるナズナ。

その先にもナズナ、ナズナ・・・


何だかねぇ。
こういうのが、何だか申し訳なく感じてしまうわけです。

ありがとうねぇ、と少し摘ませて頂き家路に着くのでした。

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そして7日の朝。

朝食前に若菜摘みの続きへ。

その結末は・・・


七草が八草に。

そして何やらちょっと、あれ?が。


*答えがわかった方、こっそりメールください。正解の方には森の新年のご挨拶ギフトをささやかながらお贈りいたしましょう。

coobluemoonアット(@に変換してください)gmail.com



「8は末広がりでいいじゃない」と言われ、
「それもそうねぇ」と。

丁度月齢も8日目ですし。


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こうして実際に若菜摘みをして思うのは、
七草全種集まればそれはそれで良いけれど、若菜を摘むという行為自体がとても健康的な仕事(?)初めだなという事。

小寒を迎えた今、お年賀から寒中お見舞いに移り、冬が深まりゆくわけですが、身の回りには春を予感させる野草たちがこうして芽吹いていると知れる事。


そういうことこそ大切な事のように思えるのでした。



七草粥に限らず、若菜摘みで野草粥を。

身体が温まり、野草パワーを丸々取り入れられ、朝のスタートにもってこい。


冬は気持ちも内に入りやすい季節。
こういう形で野草を時々いただくのもいいなと、改めて思います。


3連休ですね。
若菜摘みに出かけてみてはいかがでしょう。

あなたの周りにも、沢山の芽吹きがあることに気づかせてもらえると思いますよ。




・・・・・・・・追記・・・・・・・・


野草摘みにおきましては、毒草との誤採取をさけるための知識が必要です。

七草に関しましても、例えばセリとドクゼリのように生育場所を同じくしているものもあります。

とはいえ、野草に触れる敷居を感じるのではなく、情報を知識としてとらえるのでもなく、自然の中を散歩しながら少しずつ触れ合ってゆく中で学ばれることをオススメします。

野草を知るには毒草を学んだ方が早いともいわれますが、知る事で楽しくもなり、自分をも救うことになります。


また、知っていると過信する事なく、常に自分を疑う心も大切だと思います。

これらは、「毒学」というワークショップでもお伝えしてきたことですが、改めましてここに追記として綴らせて頂きました。


皆さんの好奇心と学びが、バランス良く自然と共にあることを願います。


Coo記




御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

01 03, 2017
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睦月 月齢4日

新年のご挨拶を申し上げます。


ここだけの話、
我が家は到底新年に間に合いそうにない年の瀬だったため、

樹さん:「我が家は世間から2日遅らせよう」
との提案が。

つまり、1月3日を我が家では元日とする、という。


私:「そうねぇ、休日がなくて長く感じる6月辺りに、2日ほど早めて帳尻を合わせましょうかね」
とちょっと安心した師走30日、、、


と思いきや、諦めた途端に諸々を手放せたようで、
世間のカレンダー通り新年を迎えられた奇跡。


とはいえ、おせち料理は簡易的に。
気づけば御屠蘇用の日本酒の用意を忘れていました。


というわけで、森のお酒をいただくことに。

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果実酒専用の棚に並ぶ数ある瓶から選んだのは、


梅の花酒。


かれこれ10年ほど前に摘んだ花たち。

裏高尾の森で、雪の上に舞い落ちた花を集めたもの。


あの時の記憶と、今この時が、
あの森と、この森とが、

ひとつになる。



花酒を口に含むと、満開に咲きほころぶ梅林の光景が広がりました。

殊に、私が好きな、雪の日に香る梅の花の残像が浮かぶのでした。

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あぁ、今年も梅が咲く季節を迎えようとしています。

新しい年のこの季節を迎えられたことへの喜びが広がりゆく。



御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

これは中々良いものです。


というわけで、我が家らしいお正月となりました。



さぁ、どんな年になるでしょうか。


皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。



天青の色の行方。

12 22, 2016
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師走 月齢22

ふと気づいたら年も残り僅かで終わろうとしています。

諦めも大切。

ただひとつ、年が変わる前に、
秋のはじまりから友人と交わした手紙のことをお話しましょうか。


秋になるとクサギの実がなるのが気になり始めます。

友人への手紙の冒頭にも、季節の挨拶としてそう綴りました。


丁度クサギの実が青くなりはじめた頃、友人から小包が届きました。

袋をあけると、ヤギの絵本他贈り物と共に「天青の実 - くさぎ -」という章が添えられていた。

それは、染織家 志村ふくみ氏の文章でした。


京都の山間から流れる川の鬱蒼とした茂みで集められるという。


私も裏庭の森の茂みを分け入ってクサギを集めながら、
私の芯は、空の青と森の緑が掛け合わされた碧に染まるのでした。


色からして、宇宙からみた地球をイメージさせます。


森の中で天青の実を仕分けながら、
「今度、毛糸が染まったら色を見せてね」と綴ってくれた友人のことを思っていました。



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去年はクサギで毛糸を染めました。

靴下は未だ編めていません。
(編み物の本まで買ったのにね)

今年は羊毛とアルパカの2種を染めました。


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更に欲張ってガーゼハンカチとハンドタオルも。

下処理しても尚、白が際立つのは、クサギの青さのせいでしょう。


何回か染め重ねてゆきます。
素材の違いで色も変わりますが、回数でも色の変化が大きく面白い。

「もう一回だけ、、、」と思って染めると、

「あぁ、さっきまでの色の方が私好みだった、、、」ということも。


頃合いの見極めと欲張らないことが大切です。


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綿糸はとても鮮やかな青が得られました。
心躍ります。


ある資料によると、クサギは媒染(色の定着)の必要がないとあり、去年まで媒染せずにいました。

けれど、半年もしないうちに、洗濯したわけでも、日に当てたわけでもないのに、色が変わってしまうのです。

そのため、今年は色を定着させるべく媒染することに。


どうかこの青が残りますように、と。

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ガーゼは澄んだ青空のようでもあり、
濯ぎの水に揺蕩うと、コバルトブルーの海のよう。


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もう一枚あったので、どこまで染められるか試してみると、、、

次第に緑がかってエメラルドグリーンに近くなってきました。

実を包んでいたガーゼも美しく染まっています。

これはこれで美しい。

志村ふくみ氏の表現が浮かびます。

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ハンドタオルもこの通り。美しく染まりました。

綿糸の媒染を主張の強いものにかえてみたところ、グレーがかったモスグリーンなりました。
(右下の毛糸)

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素材、染める回数、媒染の違いで楽しめる色の変化。

そのバリエーションは無限大。

これだもの、毎年試みても次々に課題が与えられるわけです。


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そしてこの後、日影で干して糸玉にします。

あまりにも絡まってしまい、毎日少しずつ玉にしていたわけですが、、、

朝起きると、部屋中に糸が。

の、繰り返し。

クロネコのヤブさんは、夜な夜な毛玉と遊んでいらっしゃるようで。





そうこうして、冬の足音が聞こえはじめた頃。


ふとみると、糸からもガーゼのハンカチからも、
いつの間にか青気が抜け、薄いエメラルドグリーンになっているではありませんか。


全て染め重ね過ぎて緑色が強くなったあの色に。

(右の色から↓左側の色へ)

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青はどこに消えたのでしょう。


私は友人に見せるつもりだった糸玉を手に、暫し考える。



そして友人に手紙を書きました。

「消えた青はどこへいったのでしょう。空の青を少しだけ濃くしたのかしら。だったとしたら、なんて粋なのでしょう。」



友人にはこの青を見せてはあげられなかったけれど、
志村ふくみ氏が、クサギの実で染めた青い糸の色合いを、

「どこか玉のような半透明の光りを帯びて、うすみどりの影をさすのである」

と表現した、そのわずかな色合い。
ルリビタキが飛び立った残像が森に留まるような、空かす光りの色のようで、ジンワリとくる。


そのことにこうして気づいた今、
「瑠璃の微粒子が匂い立つ」と志村ふくみ氏の言葉を受け、
クサギの実の香りを、もう二度と「カメムシの香り」などどは表現しないでおこうと、心に誓った。


そんな師走。


友人に今年最後になろう手紙に瑠璃が飛び立った糸を添えて手渡しました。
澄んだ青色は来年に持ち越し。来年の課題。

とはいえ、既に「もしかしてあれをああしたら、、、」が私の中には既にあるのです。


きっと彼女なら、そうして楽しみを先延ばしにしていることもわかってくれることでしょう。



来年も私はクサギを摘んでいることをイメージしながら。

また森で。

霜月の雪。山ごもり。後編

11 25, 2016
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霜月 月齢25

・・・「霜月の雪。山ごもり。前編」←はこちらから。


森の奥へ。


樹々が傘となってくれるので、このくらいの雪だと森の奥の方が足元はとられません。

ついつい道をそれてその先へゆきたくなるのも、私にとっての自然の法則。

心がフワフワいたします。

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(動物たちは、今頃どこでどうしているのかしら)

広い森の中で、こうして歩き回っているのが自分だけのように思えて来ました。
それでも、そこには確かに沢山の気配や息づかいを感じるのです。

嬉しくなってしまいます。

そして、フフフと小道に戻るのでした。

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雪の重みで弛んだ枝々。
普段なら手の届かないものたちに触れる事が出来るのでした。

色艶やかなトンネルをくぐりゆく心地よさ。

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振り返って立ち止まり、来た道を眺めていると、不思議な感覚に包まれます。

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新に進んでゆくと、目の前にベールが現れます。

(あぁ、この感じ。私、知っている。)

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そしてその先で出会ったものとは、、、

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私は何度もこの樹に会っているはずなのに。

これほどの圧倒的な存在感を肌で感じた事があったでしょうか。

息を飲むほどに。それは、「美しい」という言葉でくくってしまいたくない気持ちが溢れました。

2つの樹なのに、1つに見えるその枝の張り方を愛しく想います。

樹々が枝を広げるスペーシングの絶妙さには、いつも感嘆させらます。


溜め息ひとつ。

そして時を忘れて立ち尽くしたのでした。


ようやく視線を下ろすと、少し離れたところに鮮やかに力強さを放つ色が私の視界の片隅に入り込んできました。

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小鳥たちの大切な蜜を内包している花。

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雪の重みに花びらを散らす事のない、凛とした逞しさがそこにはありました。


(あぁ、、、今日ここに来て良かった。)


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雪は止む気配もなく舞ってきては着地してゆきます。

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細い枝が折れない事を祈りつつ、、

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キブシの実のタンニン成分は、雪をも染めることを教えて頂き、、、

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あれやこれに心奪われながら来た道を引き返します。

同じ道でも新たな気づきがあるもので、私は「引き返す」という行為が好きだったりします。

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天気予報によると夕方には止むというこの雪。

紅葉と雪が同時に見れるのも今日だけかしら。
そう想うとより一層心をこめて見つめてしまいます。

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今度はあっちの方へ、、、と想ったのですが、メインカメラのシャッターが下りなくなりました。

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気づけばお腹がものすごく空いている。


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「お待たせ」

置き去りにした傘との再会。

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ここで私の「よし」がやってきて、家に戻る事にしたのでした。


家に戻るととっくにお昼ごはんの時間を過ぎていました。
かれこれ7時間ほど山ごもりしていたようで。

そして身体は冷えているどころか汗いっぱい。

そりゃあお腹も空くわけだ。


雪見お昼ご飯を食べていると、雪にみぞれが混ざりはじめました。

(良いタイミングだったわね)

そして温々とした夕を迎えました。

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↑この2日前↓

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季節が急ぎ足でバトンタッチしたというよりも、「思わず、ちょっと」という感じかしら。

そんなサプライズも悪くはない。

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一夜明けて今日。

雪は大分溶けてしまいました。


そして再び、紅葉が続きます。



何だか上質なショーを見せてもらっている想いです。

自然は、見方によっては時にとてつもなく厳しく無慈悲に想える事もあるかもしれません。

けれど、それでも、やっぱり、


自然て素晴らしい。


そんな単純な言葉しか浮かばない一日が、今日も終わろうとしています。






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プロフィール

Author:Coo
森のある暮らし「ことり〜cotori〜」主宰。 三日月生まれ。 森と写真と黒猫と美味しいものと。 Coo、時々、久弥子。

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