秋の露草。

09 19, 2017
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長月 月齢28


「風邪でもひいた? 」

台風がやってくるという日の朝、目覚めてきた樹さんの声が3トーンくらい低かった。前日に続き、京都市内でのライヴが控えていたので気になった。

「露草を摘んできましょうか?」



 露草の可憐な花は、朝露のように その日のうちに消える。故にとても繊細で、水に生けてもすぐにしぼんでしまう。随分と前のことだが、露草を摘んで持ち歩き、あっという間にしおれたと言ってポイとされた露草がいたたまれず、薬効を調べ薬にしたことがある。意外にも薬効の多さに驚いた。喉にも効くというのを知ったのはその時だ。

その頃私は、しょっちゅう喉の調子を悪くしていた。乾燥させ常備していた。するといつからか、庭に露草が生える様になったのだった。干す過程でこぼれた種があったのだろう。

「庭には、そこに住む人や家族、大切な人に必要な薬草が生えて来るものだ」と教えてもらったことがある。それはつまり、そういうことなのかもしれない。




 朝露に潤んだ露草を摘みに出かけた。薬草の居場所は、私の脳内薬草地図にインプットされている。

その日も露草の朝露を飲みにきている先客がいた。「間違いなく美味しいでしょうね」と暫く眺める。私も露草の朝露を指に受け口にしてみる。ゆっくりすーーっと、何かが自分の内に落ちてゆくのを感じる。

煎じる、煎じる、煎じる。

「湯気を鼻から含んでから、喉を撫でる様に少しずつ服んでね」と渡す。夫にとって効いたかどうかはわからないけれど、この一連の工程を経て、私自身がすっかりバランスが良くなっているを感じていた。



薬草を扱うというのは、そういうことだと思う。だとすると、身近な人が体調を崩すと、自分のバランスを整える機会を頂くことにも通じる。だからそういう時は、有り難いことだと心から想う。



 そして今日も、ツユクサの限りなく澄んだ青い花が咲いている。台風一過の秋空よりも深い色を放っている。飾り雄しべ(露草には実は3種類の雄しべが一つの花の中にある)、の黄色とのコントラストが何とも愛らしい。

梅雨の頃に咲き始め、真夏に花の盛りを一旦緩めたかと思うと、この時期に再び咲き誇る。


秋の季語である露草。
なるほど、今の季節の露草は愁を増して尚、美しい。



・・・・・・・・・・・・・・

ツユクサ

生薬:鴨跖草(おうせきそう)
薬効:解熱、かぜ、解毒、熱性下痢、咽頭炎・扁桃炎、あせも・かぶれ・皮膚のかゆみ、など。
採取時:開花時
利用法:乾燥させて煎じる

*乾燥前に一度蒸すと良いともいわれるけれど、私の経験上、茎等が厚く乾燥に時間がかかるためだと思われる。梅雨の合間の天候が不安定な時には良い。秋の晴れが数日続く時は、その必要はない様に感じる(あくまでも個人の感覚なので、お試しください)。




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葛の花の寒天寄せを花蜜で。

09 14, 2017
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長月 月齢23

No.002  Pueraria montana var. lobata

葛 : 花蜜と寒天寄せ


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閉じ込める。アクリル樹脂の植物標本のように。

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溜め息ひとつ。

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葛の花のシロップは、寒天の仕込みと同時進行で作っておく。

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彩度が落ち着き、新たな藤色を得る。ほどなくして色を失い、透明度を得る。寒天と共に良く冷やしておく。

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葛の花は夕暮れ時に良く香る。仄かなそれを感じる柔らかな風をそのまま思い起こさせる味。


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葛が今年の花の季節に終わりを告げようとしている。嵐がやってくるというので慌てて花を摘みに出かけた。

葛きりを葛の花シロップでいただこうと考えていた。けれど、花を摘んでいたら気が変わった。残り少なくなった花があまりにも愛おしく美しかったから、寒天で閉じ込めることにしたのだった。

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Leguminosae つまり、豆科。

葛は漢方でも葛根として広く知られており、その花も秋の七草がゆえに知る人も多いだろう。森の教室でも葛で草木染めされた方もいらしたり、季節のお菓子としてお出しした葛の花のチュイールは、焼き菓子にしてもなお口一杯に広がる花の香が喜ばれた。蔓の先の天ぷらは春先の野草料理会でも人気だった。その他、蔓で籠を編んだり、根の澱粉から薬を採ったりと、皆さんと共に学び楽しんできた。

ふと、この豆の存在をお伝えする機会を逃していたことに気づく。花の直後になる豆の柔らかな黄金の産毛だったり、透き通るその身の可愛らしさがあることなくして葛を語れないのに。それを伝えたくてシャッターを押した。

雨が上がった昨日、豆の産毛が朝日に輝く姿に会いに行った。



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この香りを身体いっぱい吸い込もう。最後ひとつの花が落ちる前に。
今日は秋晴れのカラリとやや暑い一日だった。よく冷えた葛の寒天寄せが嬉しい。

夕焼けを前に、鳶が高らかに声を上げ旋回し、蝉は夏の終わりを唄っている。




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長月の満月に。

09 06, 2017
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長月 月齢15


見えない、から、いない。

ではなく

見えない、けど、いる。



その微かな心音に触れている。

長月の満月に。






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ガーデナーたちのレシピ。

09 04, 2017
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長月 月齢13

「ミントが育ち過ぎてしまったまま、夏が終わってしまおうとしているから・・・」

サングリアを仕込む。


もうかれこれ15年以上前の話になるのだが、私がイギリスのガーデンで庭師として働いていた頃のこと。バラが咲く頃になるとガーデンパーティーが連日のように開かれていた。イギリスではサマータイムにあたり、日が沈むのが遅い。夜の10時くらいで日が暮れるので、平日でも夕方から呑気にパーティーが開かれていた。

敷地内にいくつものテーマ別の庭があり、それぞれの庭に専属の庭師がついていた。私が担当していたガーデンは一般に公開されておらず、外から覗く事すらできないものだった。そして、年間通してもわずか2ヶ月ほどしか庭師以外の人が入ってくることはない、所謂「秘密の庭」だった。それも、このガーデンパーティーのためにあるのではないかと思うほどの秘密っぷりだった。

担当のガーデンであっても、私にパーティが開かれる日が知らされているわけではなく、4時くらいになるとキャンティーンからシャンパンやグラス、軽食などが運び込まれて来るので「あぁ、今日もなのね」とわかる。

彼らは残業などという言葉は存在しないのではないかと思う働き方をしているため、5時の鐘がガーデンに響き渡ると、マスターたちや関係者たちが普段は鍵がかかって閉ざされている門から次々に入って来てガーデンパーティーが始まる。その時間になる頃には私も仕事上がりなので、ガーデナーたちの小屋に戻るためガーデンを後にする。


花が咲き誇るこの季節は芝も伸びるのもあってとても忙しく、たったひとりで広い広い庭の手入れをしていたため、夕方にはクタクタだった。小屋に戻るとお茶を飲み、その日の庭について軽くヘッドガーデナーに報告し、図鑑や本で調べごとをしながら先輩たちと他愛もない話をして、自転車をこいで家に帰る。そんな日々だった。


ガーデナーたちはガーデンパーティーをしないかというとそうではなかった。ただ、私たちには「じゃぁ何日にパーティーをしましょう」という言い合わせはない。その代わり、誰からともなく始まる。

「今日、あのキノコが採れたから炒めて飲まないかい?」
「セージを刈り込んだから、ソーセージ仕込みついでに飲まない?」
「ローズマリーの花が咲いちゃう前にと思って鴨を捕まえたから(本当は捕まえていない、ブラックジョークだ)、ローストして飲まない?」
「ナーサリーのミントの剪定をしたから、ガーデンサラダとサングリアにしない?」

そんな庭のタイミングと共に在るレシピというのが実にガーデナーらしく、そしてそれぞれの庭の成長を分かち合う喜びというのが、私は大好きだった。

そして、小屋から出てカラッとした天候の夕を過ごす。誰も来ない庭の片隅で、その庭で育ったハーブを頬張りお酒を交わす。他愛もない話に笑い転げ、心地の良い酔いに包み込まれる。クタクタだったはずの身体もすっかり英気を取り戻し一日を終えるのだった。今振り返ると、本当に良く働き、働いた身体を良く癒した日々だった。


サングリアにミントを添える。
それは、そんなガーデナーたちによるガーデンのための密やかなガーデンパーティーで覚えた味だ。忘れる事のできない味なのだ。



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にしても、ミントが育ち過ぎてしまった。花をつけてしまったので、種を採る方向でも考えていた。
とその前に、レモンとビネガーのドレッシングを合えたトマトのサラダにもした。それから、ミントティ、ミントシロップも作って、、、と頭の中がミントレシピで満たされてくると、「・・・あれ?ミント、足りるかしら?」となるから不思議だ。


冷やしたサングリアを飲みながら、あの頃を思い出していた。夏が終わり、ガーデンパーティーも次第に開催されなくなってきた担当の庭の片隅に置かれたベンチに腰をかけ、River Camを眺めながら、ただボーーーッと今日を想い明日を描くだけで、遠い過去もずっと先の未来も考える必要がなかった頃の事を。そして時を越えて今、大変だった事でさえも全て自分の糧となり良い思い出に変換されている事を。


あの感覚を思い出すだけで、私はそんな風に生きていけるのだという根拠のない自信を覚えることが出来る。それは、あの庭で過ごした時間と、ガーデンの先輩たちからもらったギフトだと今も変わらず想っている。


Film モノクロ 2013 スキャン源_


追記:「ガーデナーによるガーデンのためのサングリア」レシピ

・果実(オレンジ、レモン、リンゴ、パイナップル、バナナ、何でも良い)
・安いワイン(テーブルワイン程度の安物が合う)
・フレッシュなミント

適当である。いかに適当にカットし、適当にワインを注ぎ、適当にミントを摘んで添える。
*大切なのは、ミントがフレッシュであるということ。
*ミントの葉は飲みながらちぎったり、かじる事で爽やかさが更に広がる上に、香りによって脳神経を通じ効能も向上する。
*「適当」とは「適度」である。
*パイナップルジュースを加えると更に飲みやすく、酵素により悪酔いしにくい。お好みで。



ミントの効能:
疲労回復、鎮痛、冷え性改善、安眠効果、食べ過ぎ飲み過ぎの胃腸の消化を助ける、精神的な緊張をほぐす、リラックス効果、などなど。





葛の花が咲きはじめたので。

08 29, 2017
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葉月 月齢7

沢で涼む。
心を洗う。

沢の音に耳を浸す。
森の光に身を晒す。


鹿の足跡が残されている。
そこに2本の指を重ねる。

微かに鹿の香りを感じる。
微かに暖かな温度を感じる。

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ふと我に返ると、南天の花が揺れていた。

それはある暑い日のことだった。
その日のことを私は、何となく忘れられずにいる。

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京都の夏も落ち着こうとしている。
黒猫のヤブさんの羽毛は未だに抜け続けている。ここまで夏を諦めなかったのか、ここに来て夏を手放したのかは私にはわからない。自分でコントロールできるものと、できないものがヤブさんにもあるのかもしれない。

(ヤブさん、夏が終わるよ。夏も終わるんだよ。)

私はもう暫くは沢に涼みにゆくけれど、葛の花が咲きはじめたのだから、新しい秋を迎える心持ちで出かけてゆくだろう。

秋の初まりは、いつもどこかノスタルジックで、過ごした夏を振り返る。


もうそんな季節。







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送り火に想うこと。

08 16, 2017
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葉月 月齢24

大きな花火をはじめて見たのは、6歳くらいだったろうか。家族で新潟の小千谷まで花火を見に行った事を覚えている。夜空一面を昼間にかえるかと思うほどの花火だった。

道の途中、私は側溝に落ち脛を大きく擦りむいてしまったのだが、はじめてみる光景にズキズキする足の痛みをも忘れて夢中に空を見上げていた。帰り道になって怪我をしている事を思い出し、急に痛くなって父に肩車してもらったことを今でも思い出す。「雪国の側溝は深い」という学び(確かかどうかはさておき)を得たのも花火大会の思い出のひとつとして忘れられない。

父は一年で元日しか家業を休みにしない人だった。その父が休みをつくり花火大会に連れてってくれたのは何故だったのか、今となっては知る余地もない。

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花火が開きかける瞬間の初めの輪が美しい。いつくるかわからない、その瞬間を待つあの感覚がとても好きだ。

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全て開き切った花びらは、複雑に光りを混じらせ踊る。

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そして、花火がチリチリに去る間際は実に美しい。一瞬で闇を追いやっておいて、いとも簡単に光りを手放すところあたりがにくい。

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花火は元々お盆にお迎えしたご先祖様を見送る送り火だったという。だから私は花火大会の時、花火を見ては空の天上を見上げる。
そして想い祈る。


今宵、京都は五山送り火だった。

朝食のパンを買うついでに街まで出た。大文字の送り火が灯ると、山が大きく浮き上がるかの様に存在感を増した。
私は空を見上げ父を想った。


7月末の父の命日以来、父のことが要所要所で思い浮かんでいた。8月に入り、父の写真や空に向かって相談する事が増えた(もちろん答えが返ってくるわけはなく、ただ話を聞いてもらっているだけなのだが)。

今年のお盆は、妙に父を近くに感じていた。何故かはわからないフリをして、何故かわかっている気もする。私が父をあちらの世界に送ったあの日に出会ったものがある。それは、この時期の庭に咲く薬草の香りと、深く繊細な音色だった。

その香りや音色を通じて、大切な人の死はただ悲しむものではなく、共に重ねた時を慈しむものであると父が最期に伝えてくれようとした計らいだったように想えてならない。


送り火を見つめながら、私はその香りと音色を鮮明に体感した。そして父に感謝した。




電車が混む前に家路に着いた。叡電は混雑を知らない素振りで走り出した。時折、車窓から大文字の送り火が見えた。修学院に着く頃、やや終わりを予感させる妙法の送り火も見送る事ができた。

山に戻り、吊り橋を渡る。吊り橋の真ん中で空を見上げると星が煌々と輝いていた。

川の音にかき消され気づかなかったのであろう2頭の鹿が吊り橋の下からこちらを見上げていた。ゆったりと走り去っていくのを見送ると、吊り橋を渡り切って家についた。


花火や送り火が美しいだけでなく、どこか憂いを秘めているように感じるのは、夏の終わりを予感させるからだけでなく、きっと自分の内に流れる血に触れ、今は亡き大切な人たちと繋げてくれるものだからなのかもしれない。


送り火に見送った夜、秋の虫たちの音色が微かに響いている。デスクトップの隣に置かれた父の写真立てに時折目を移しながら言葉を綴っている。

少しずつ秋を感じるようになった夜。今夜もとても静かな夜を迎えている。




嵐の立秋に。

08 07, 2017
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葉月 月齢14

目が覚めると雨が降っていた。いつもよりも涼やかな朝だった。

今日は嵐がやってくる。だから今日はラジオをつけずに森の音を聞いている。ヒグラシが羽を鳴らしている。今日は薄暗いからだろう。ヒグラシの羽音が昼を過ぎても止む事はなく、森に響くミンミンゼミやアブラゼミの音を微かにさせていた。

私はヒグラシが好きだ。雄の羽根の色が好きだ。雌の透明感も好きだ。そして、一匹が鳴き出すと追うかの如く一斉に鳴き出し、そしてフェードアウトする。を、くりかえす。その波が好きだ。


その息継ぎのような「間」に、生きることの美しさを感じる。 嵐にも「間」がある。これからやってくるものをより強く五感で受け取らせようとする「間」である。


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そして嵐がやってきた。私は森へ出かけた。

嵐の森は唄う。このブログでも何度かそう書いた。どんな唄なのか上手く言葉にはできない。山にいて地震がやってくる直前にも山は唄う。それはもっとわかりやすく「あ、来る」とわかる。それとこれとは似ているのだけれど少し違う。

嵐の森唄は、耳で聴こえるものではない。嵐が唄い、森も唄う。そして命が震える。それは、はじめて龍に触れた時の感覚に似ている。


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雨に打たれ、空っぽになった。

そして今、パソコンに向かいながらも、時折森の唄を感じる度に手を停め、闇に包まれゆこうとする嵐の森を窓越しに見つめては、光りが差した空を駆け上がる無数の龍を想い描いている。



今日は立秋。嵐が秋を連れてくる。
明日は満月。闇に光りが灯る。


この狭く広い世界の中で。

蝉たちの羽音とやってくる秋、ほんの短い森の唄や山の唄。長く続く闇と月の光り。今も色褪せずにある想いや消えない痛み。そんな嵐と「間」を慈しみながら、人は生きていけるものなのかもしれない。


そんなことを、嵐の夜に、考えている。
とても静かな夜に。









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Current Moon
CURRENT MOON
プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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