シャガ野原から白鳥たちが飛び立つと。

05 24, 2017
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皐月 月齢27


「山だと雑草よね。そこら中に咲いていて。有り難みもないわ。」



ここに引っ越して一ヶ月が経とうとしている。引っ越して来た日、家の前の沢沿いにシャガが辺り一面咲いていた。
数日前、シャガ野原になっていたその場所で、通りすがったふたりの会話が聞こえた。思わず振り向いた。私は何か言おうとしたのだが言葉にならず、遠のいてゆく人たちの気配まで消えても尚、シャガを見つめていた。

シャガは別名胡蝶花というが、私には白い鳥に見える。すっと入った僅かな色味が凛としていて、着物を着た女性に化けた白い鳥のようにも思える。


シャガは強い。
春の花は可憐で儚いものも多い中、シャガは長くその白い鳥の様な花を楽しめる。


先日素敵なご年配のご夫婦に出会った。おふたりが長い年月をかけて育てて来られたお庭にお邪魔させてもらった。小さなログハウスに、手入れの行き届いた見事な庭。立派な桜の樹の足元にシャガが咲きほころんでいるのに眼がいった。

桜の足元で土を保湿してくれるという。シャガの葉は常緑で厚い。なるほど、と唸った。 ターシャチューダーにどこか似ている奥様は、愛おしそうにシャガについて語ってくれた。

(実際、ターシャからいただいた種を育て、今もその花は庭に毎年咲くのだそうだ。)

シャガの白い花は、木陰に光りを集めるかの様に輝かしく咲く。私はそんなシャガが好きだ。



立ち止まったままシャガを見つめていた私は、あのご夫婦の笑顔に見た光りを、シャガの輝きに重ねていた。


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シャガ野原から白鳥たちが飛び立ち、あれほど明るかった木陰には、深翠の漣だけが揺れている。
見上げると桜の葉も、随分と色濃くなっていた。


これからも、そっと共に在らんことを。


私はそう願いながら歩き出し、小道に咲く小さな花々の名を、ひとつひとつ呼びながら家路についた。

優しい雨が降った日に。次の季節がもうそこまで来ている事を知る。







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雫がまたひとつ。

05 10, 2017
皐月 月齢13

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雨が降っている。

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雫がまたひとつ、生まれる。

ギボウシの葉が、揺れる。

流れてゆく。

を、眺めている。

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「コココココ、、、」

(ホオズキ風船を喉の奥にしまえたら、彼らのように歌えるだろか)

幼い頃、母がホオズキの中身を出して作るホオズキ風船を口の中で鳴らしてみせるものだから、私も私も、とせがんでやってみても上手くいかなかったっけ。試してみては飲み込んで、顔をクシャっとさせたっけ。


雨で身体に艶のでたニホンアカガエルは、嬉しそうに喉を震わせている。


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苔の大地に青モミジ。


「京都で雨に降られたら、ラッキーと思え。」ここに越してきてから読んだ本に書かれていた。
「ここらは雨が降ったら、もっと素敵だろうに。」ある晴天の日、すれ違った人たちの会話を耳にした。

(何も京都でなくても雨の日は美しいのにねぇ、、、)

私はそう思っていたけれど、こうして雨の日に歩いてみたならば、やっぱり「京都」と「雨」というキーワードは、屁理屈さえも包み込み、「ん、なるほど」、なのだった。

雨を喜べる暮らしを見失わずにいたい。そう思わないかい?


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雨が上がった。

雫がまたひとつ、姿を消す。





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蕗の薹の透明度と種の可能性を内包するもの。

03 26, 2017
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弥生 月齢27

菜摘み。
蕗の薹。


蕗の薹が開いてゆく様を数日見守っていた。


冬の風に頬がチリリとする季節から、揺れる髪と髪の間に仄かな陽射しが射し込む季節へと移行してゆく曖昧なインターバルに、ふと「あ、、、そろそろかしら」と脳裏によぎる野草。 その感覚は、周辺視野の最も端っこを掠めるカケスの残像に似ている。 そして毎年その感覚に狂いはない。蕗の薹のいる場所へ向かうと、「どうも」と芽吹いている。


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ファインダー越しに、今年も出会う。その透明度に驚かされる。ドキッとさせられる。こんなにも透き通る緑がこの世に在ることへの感動が私を襲う。
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蕗の薹の花に吸い込まれる様に見つめると、星空が広がっている。それらはギャラクシーそのもの。私はキョロキョロする。「ねー!ねーぇー!」と誰かに教えたくなる。だれもいないのだけれど。ヤマガラが通りかかった。何食わぬ顔で飛んでいった。


そんな話は夫にはしないのだけれど、夜の食卓に蕗の薹の天ぷらを添えた。我が家の庭にはいくつか株があるが、今年もひとつだけ摘んだ。こうして残しては、少しまた少しと増えた。なので、今年も半分こ。

小さな蕗の薹を半分。食す。

爽やかな青味の後をほろ苦さが追う。その後を春の喜びが全私を包み込む。


「ようこそ、春。」


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そうして春分がやってきた先週末。コートを置いて出かけた。春が堂々と懐の大きさをここそこに表現していた。春を身体いっぱい感じながら、生まれたばかりの子ヤギたちに会いに行った。

そして春分が訪れる19:29を想定してその少し前。コートを着込んで出かけた。向かう先は決まっていたので、私は夫を待てずに先に家を出て歩き出した。

私が石ころ蹴りをしながら歩いていると、あっという間に樹さんに追い付かれ、「子どもか」と追い抜かされた。反論しようとして止める。だって後数分で春分だとわかっていたから。


向かった先は去年樹さんが人知れずちっさな行動にでた場所。

この森の中で大規模な伐採が行われた土地がある。太陽光発電のソーラーパネル建設における住民運動が起こり事業は頓挫したのだった。当時、「良かったね」と人々は口々に言い合ったものだったが、丸裸になった大地はその後間もなくして話題にも上がる事もなくなり、そのままになっている。

「そのまま」というのは語弊があるかもしれない。それは人間サイドの言葉にすぎない。というのも、丸裸だった土地にも芽吹く植物たちが沢山いて、あっという間にパイオニアプランツたちが杉林に代わって森を作りはじめているのだから。



話は去年の春に戻る。



私は玄関先に残された樹さんの不可思議な行動の痕跡を見つけた。「この人は一体どこで、、、」と謎解きがはじまった。その行動の実行現場は裏庭だと推測していた。樹さんは裏庭に「実験畑」と称したエリアをもっていたから。ところが、彼が企んでいた事は、もっと広大だったことをずっと後になって知った。

彼は、夜な夜な伐採にあった土地に人知れず種を撒いていたのだった。夏がきて、秋がきて、冬になった。けれど芽吹きを確認出来ずにいた。


冬のある日。樹さんが種を手に入れないと、、、と言い出した。この人の中では未だに続いていることを知った。らしいな、と思いつつ、協力するつもりもなく私は「ふーーん」と聞き流していた。



2017年春分の瞬間19:29。
私たち夫婦は、荒れ地に種を撒いて歩いていた。暗闇の中、月明かりを頼りにその広い大地をフラフラ、サラサラと。

「意外とね、すぐに撒き終わっちゃうから少しずつがええよ」経験者のアドバイスを受け、私は気をつけながら歩いた。
二手に分かれようと言い合わせたわけではないけれど、自然と別々の方向へ歩き出し、お互いの姿が闇で見えなくなった。

斜面を登りながら撒き終わった頃に丁度再会した。歩いて来た方向を振り返ると、開けた空に月と星が輝いていた。私は呼吸を整え、小さく笑った。 家までの道のりで何か会話を交わすでもない。家に着くとただ「良い春分だったね」とだけ言い合った。


私たちはその花が咲き出す姿も、芽吹きでさえも確認は出来ないかもしれない。だけれども、私たちにとって実際の結果はさほど大切ではない。ただ、日常の中でふと、想像してニヤリとできるものがあるということほど、平和で幸福なことはないように私は感じている。



こうしてこの森にも春がやってきた。桜の蕾が大分膨らみだし、明日には一輪ぐらい、、、と話していたが、一夜明けたら雨が降り注ぎ蕾は閉じたまま雫を宿らせている。


桜が咲く頃になると、再び雪が降る。「冬に逆戻り」というけれど、どちらかというと冬が完全に去る前の春への挨拶の様に私は感じる。春の花や芽吹きを冬が掠め撫でてゆく。冬は実に律儀だなぁと微笑ましく思う。

そこには、例えば、蕗の薹の透明度や大地に撒かれた種の可能性をも内包している強さと優しさがある。
蕗の薹も芽吹きも、春の代表の様にイメージされやすいが、どちらも冬の大地の溜め息の産物のように、私には想えてならない。


小窓から雨が降り注ぐ森を眺めつつ、言葉を選んでは綴っている。
そんな休日も良いものだ。





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サインの記憶。

03 11, 2017
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弥生 月齢12.6


それは、春先に出会う冬の足跡のようなもの。
それは、肌感覚で思い出させてくれるもの。

時と共に風化し形がなくなりゆけども、確かにそこにそれはあったと感覚が触れるサイン。


葉々の縁や表皮に朝露は細かな氷の結晶を形成せど、その脈には触れず。
小鳥の羽毛に朝露をそのまま固め残せど、その柔さには触れず。


陽がさすまでの僅かな時間。私はそれら全てと共に、自然界の長い瞬きに包容される。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




夢をみていた。どんな夢だったかは、今となっては覚えていない。 あの日、私は前夜から高熱を出して寝込んでいた。ゆえに森にも行けずにいた。

大きく揺れた。

薬草の詰まった瓶たちが音をたてていた。目覚めで何が起こったのかわからなかった。黒猫のヤブさんが私の顔を見たが、揺れが落ち着くと再び眠りについた。それをみて私も何もなかったかのように再び深い眠りに入っていった。


あの日、私の記憶はそこで一時停止している。長い瞬きのように。



あれから6年。6年後のこの日に。


後回しにして溜まりに溜まってしまった友人たちからのメールの返事をひとつひとつ返している週末。ただでさえ返事が滞りがちな私なのに、友人という関係に甘んじて更に返事が遅れている。丁寧に綴るには余りの数で、ただ返信をこなしているだけの自分がいた。



ふと、ジョウビタキが小窓にやってきてホバリングしてくる。「ちょっと待って」と話しても、何度もやってきては誘う。5回目ほどで気づく。「あ、そうか。ごめんごめん。今、よね」上着に手を伸ばし、裏庭の森へ。


声のする方に行ってみると、馴染みのその子は飛んでは止まり、止まっては飛び立ち、を繰り返す。微笑ましく後をついてゆくと、ニワトコの枝に止まり、ジョウビタキらしいシッポの踊りを披露してくる。
ニワトコの花芽が数日前よりも大分大きくなっていた。「あぁ、そろそろシロップ作りの支度を考えないとね。」気づけていなかった自分に驚く。



そのまま、森の奥へ。ジョウビタキは姿を消したけれど、同じ森にいることが肌で感じられた。いつもの場所で心がフラットになったところでふと想う。


明日、私が大好きなこの場所にいられるとは限らない事。
来年、私が大好きなこのニワトコのシロップを作れるとは限らない事。

知らない間に姿を消していたあなたに、いってらっしゃいを伝えなかった事。
丁寧に綴ってくれたメッセージに「取り急ぎ」と用件のみで送ってしまっている事。

今日という日がはじまって、ほんの数時間なのに、これほどまでに私は後悔の種を自分にまいている。


私たちは明日という日が当たり前のようにやってくるとどこかで思っている。特に今日みたいな日には「当たり前ではない」と言いつつ、カレンダーにはずっと先のスケジュールを書き込んだりしている。



私は、今生まれた小さき朝露の結晶や花の香りに立ち止まれる生き方ができているだろうか。 人を想えるのも、全てはそこからのように想えた。


森に残した自分の足跡を見つけて想った。

私の足跡もまた、この森から時と共にいつか風化し形がなくなりゆくだろう。それもそう遠くはない。そのことが急に押し寄せ何とも言えない感情がこみ上げた。



けれども森を歩くうちに、少しずつ、少しずつ。樹々の芽吹きに、動物たちの痕跡に、暖かな陽射しを反射する水面に、森のざわめきに、宿った命を垣間みる。

少しずつ、少しずつ、私の命の鼓動がビートを取り戻してゆく。確かにそれはそこにあったと感覚が触れる「サインの記憶」は、この大地から消える事はないだろうとホンノリと感じ、私は妙な安心感を覚えた。



6年後のこの日、そんなことをボンヤリと森で考えていた。そんなとりとめもないこんなことを、ぐるぐると考えていた。家に向かう途中、今日送った大切なメールをもう一度送り直そう。綴れずにいた手紙を今夜ゆっくり書き始めよう。そう想った。



そんな今日が暮れていった。
ただ、それだけの話。






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霜月の雪。山ごもり。後編

11 25, 2016
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霜月 月齢25

・・・「霜月の雪。山ごもり。前編」←はこちらから。


森の奥へ。


樹々が傘となってくれるので、このくらいの雪だと森の奥の方が足元はとられません。

ついつい道をそれてその先へゆきたくなるのも、私にとっての自然の法則。

心がフワフワいたします。

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(動物たちは、今頃どこでどうしているのかしら)

広い森の中で、こうして歩き回っているのが自分だけのように思えて来ました。
それでも、そこには確かに沢山の気配や息づかいを感じるのです。

嬉しくなってしまいます。

そして、フフフと小道に戻るのでした。

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雪の重みで弛んだ枝々。
普段なら手の届かないものたちに触れる事が出来るのでした。

色艶やかなトンネルをくぐりゆく心地よさ。

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振り返って立ち止まり、来た道を眺めていると、不思議な感覚に包まれます。

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新に進んでゆくと、目の前にベールが現れます。

(あぁ、この感じ。私、知っている。)

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そしてその先で出会ったものとは、、、

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私は何度もこの樹に会っているはずなのに。

これほどの圧倒的な存在感を肌で感じた事があったでしょうか。

息を飲むほどに。それは、「美しい」という言葉でくくってしまいたくない気持ちが溢れました。

2つの樹なのに、1つに見えるその枝の張り方を愛しく想います。

樹々が枝を広げるスペーシングの絶妙さには、いつも感嘆させらます。


溜め息ひとつ。

そして時を忘れて立ち尽くしたのでした。


ようやく視線を下ろすと、少し離れたところに鮮やかに力強さを放つ色が私の視界の片隅に入り込んできました。

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小鳥たちの大切な蜜を内包している花。

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雪の重みに花びらを散らす事のない、凛とした逞しさがそこにはありました。


(あぁ、、、今日ここに来て良かった。)


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雪は止む気配もなく舞ってきては着地してゆきます。

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細い枝が折れない事を祈りつつ、、

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キブシの実のタンニン成分は、雪をも染めることを教えて頂き、、、

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あれやこれに心奪われながら来た道を引き返します。

同じ道でも新たな気づきがあるもので、私は「引き返す」という行為が好きだったりします。

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天気予報によると夕方には止むというこの雪。

紅葉と雪が同時に見れるのも今日だけかしら。
そう想うとより一層心をこめて見つめてしまいます。

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今度はあっちの方へ、、、と想ったのですが、メインカメラのシャッターが下りなくなりました。

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気づけばお腹がものすごく空いている。


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「お待たせ」

置き去りにした傘との再会。

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ここで私の「よし」がやってきて、家に戻る事にしたのでした。


家に戻るととっくにお昼ごはんの時間を過ぎていました。
かれこれ7時間ほど山ごもりしていたようで。

そして身体は冷えているどころか汗いっぱい。

そりゃあお腹も空くわけだ。


雪見お昼ご飯を食べていると、雪にみぞれが混ざりはじめました。

(良いタイミングだったわね)

そして温々とした夕を迎えました。

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↑この2日前↓

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季節が急ぎ足でバトンタッチしたというよりも、「思わず、ちょっと」という感じかしら。

そんなサプライズも悪くはない。

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一夜明けて今日。

雪は大分溶けてしまいました。


そして再び、紅葉が続きます。



何だか上質なショーを見せてもらっている想いです。

自然は、見方によっては時にとてつもなく厳しく無慈悲に想える事もあるかもしれません。

けれど、それでも、やっぱり、


自然て素晴らしい。


そんな単純な言葉しか浮かばない一日が、今日も終わろうとしています。






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Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 夫の樹さん、黒猫のヤブさんと私Cooこと久弥子、ふたりと1匹、森暮らし。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれ、など。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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