オニグルミとの日々。

06 20, 2017
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水無月 月齢25

大原を源流とする高野川の水は、京都市内出町柳で鴨川と合流する。その水は比叡山脇を通過し流れ、私たちの森暮らしの中でも大切な役割を果たしている。

私たちがこの地に越して来たのは春。陽射しが強くなりはじめの頃から、私はこの川沿いの道を歩くことを、日常の楽しみのひとつとしている。

オニグルミの樹々を見つけた時は嬉しくて小躍りした。そしてホッとした。クルミで作るあれやこれが頭に浮かぶ。クルミの季節が待ち遠しくて、クルミの花が咲く頃からずっと、私はクルミを観察し続けている。

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雄花序がぶら下がる頃になり、ふと気づく。4本のオニグルミの樹の中に雄花序があるものとないものがいる。

はてさて、、、

クルミは雌雄同株で、結実するのに雄花と雌花が必要だと思っていた。思い込んでいた。これは成長を見比べてゆく楽しみができたと、私は足しげく通っている。

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クルミの雌花序の先にあるベルベットな赤が好きだ。

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ひとつひとつみると地球外生物のようで。私にはわからない言葉を交わしているようで。

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なんだか、とても好きなのだ。

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そして、1ヶ月もすると、プックラと膨らんでくる。その頃になると、可愛い赤は退色し、代わりに桃色の産毛が実全体を覆う様になる。その柔らかな産毛が陽射しに照らされる姿が何とも幼さに色っぽさが足され、実に愛らしい。

この時点で、雄花序があった株となかった株の成長は顕著になっていった。雄花序がなかった株の実は成長はしているけれど、どれも小さい。それでも少しずつ大きくなっていった。

そして、クルミといったらノッチーノ(クルミの種子が形成される前に摘んで作られるスパイスの効いたクルミ酒)作りを意識し始める梅雨入りの頃。その成長の差は更に大きくなってきたのだった。

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↑雄花序がついた樹の果実
↓雄花序がつかなかった樹の果実


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雄花序のつかなかった樹の果実は、梅雨入り前くらいから落果しはじめていた。ちょうど梅がなる頃で、道ばたに転がる青いクルミの果実を「梅?」と夫は言った。

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踏まれて割れたのだろうか。その裂け目からタンニンが酸化して黒いインクのような色になっていた。これだもの、クルミのインクは簡単に作れるわけだ。久しぶりに作ろうかなと、私は脳裏に美しい艶黒のインクで白い便箋に言葉を描きはじめていた。

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ふたつ並ぶと成長の違いを改めて感じる。大きいから良いとか、成長が遅いから良くないとか、そんな観念は私の中にはない。
それは、生まれてからここまでの双方の歩みを見守って来たからだろう。

小さくも成長した実たちはインクや草木染めや薬作りに頂こう。大きい果実たちは少しだけ頂き、リスやイノシシたちに残そう。
それぞれを大切に頂こうと思う。


さて、ノッチーノ作りは6月24日と決まっている。セントジョバンニの祝日の深夜に果実を摘むのが習わしだ。今年の6月24日はちょうど新月に当たる。ちょっと特別なお酒になりそうだ。

月もいない夜に、青く真ん丸なオニグルミを摘む。あの独特な香りと、手に吸い付く感覚がより一層五感を刺激してきそうで、想像しただけで心が微笑む。

とその前に、摘みすぎない様に、必要分に適したサイズの瓶を取り出し、お酒を手に入れるとしましょうか。

蛍もまだ少し飛ぶことだろう。春から待ちわびたその時がやってくることを、私は今、心から楽しみに指折り数え日々を過ごしている。



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ヤマボウシの花と鹿のお尻と。

05 30, 2017
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皐月 月齢4


あまりにも白く愛らしいものだから、
私は夢中になっていたんだ。


キミが手の届きそうなところまで近づいていたことにも気づかないほど、
私は夢中になっていたんだ。


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私が驚いたものだから、キミも驚いて。


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あまりにも白くて愛らしいものだから、
私は夢中になってしまった。


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キミは、身体は山を向き、顔だけ残してこちらを見つめている。

私はカメラから顔を離す。


いつから私を見ていたんだい? 驚かせてごめんよ。でも、人に慣れてはいけないよ。山の奥にお帰り。

(本当はキミのその眉間や頬を撫で、首に抱きついてみたいのに。そしてキミの香りを感じたいのに。私は強がりを言う。キミが可哀想なことにならないように。)


随分と見つあっていた。時が止まっていたのかもしれない。

カケスが、ジャーと鳴いた。
ゆっくりと一歩、一歩と、キミが山の奥へ帰って行く姿を見送った。


・・・・・・・・・・・・・・・


夜になると、鹿の声が山に響く。
この森のどこかにキミがいる。


暗闇にぼぉっと浮かぶ、ヤマボウシの花とキミを描く。


私の内に白く愛らしいものたちが息づいた。
こうして今日もまた少し、私の中の森が育まれた。




この森にも蛍が舞いはじめ、夜の森が楽しみな季節の到来。
私の大好きな季節、梅雨がもうすぐやってくる。



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シャガ野原から白鳥たちが飛び立つと。

05 24, 2017
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皐月 月齢27


「山だと雑草よね。そこら中に咲いていて。有り難みもないわ。」



ここに引っ越して一ヶ月が経とうとしている。引っ越して来た日、家の前の沢沿いにシャガが辺り一面咲いていた。
数日前、シャガ野原になっていたその場所で、通りすがったふたりの会話が聞こえた。思わず振り向いた。私は何か言おうとしたのだが言葉にならず、遠のいてゆく人たちの気配まで消えても尚、シャガを見つめていた。

シャガは別名胡蝶花というが、私には白い鳥に見える。すっと入った僅かな色味が凛としていて、着物を着た女性に化けた白い鳥のようにも思える。


シャガは強い。
春の花は可憐で儚いものも多い中、シャガは長くその白い鳥の様な花を楽しめる。


先日素敵なご年配のご夫婦に出会った。おふたりが長い年月をかけて育てて来られたお庭にお邪魔させてもらった。小さなログハウスに、手入れの行き届いた見事な庭。立派な桜の樹の足元にシャガが咲きほころんでいるのに眼がいった。

桜の足元で土を保湿してくれるという。シャガの葉は常緑で厚い。なるほど、と唸った。 ターシャチューダーにどこか似ている奥様は、愛おしそうにシャガについて語ってくれた。

(実際、ターシャからいただいた種を育て、今もその花は庭に毎年咲くのだそうだ。)

シャガの白い花は、木陰に光りを集めるかの様に輝かしく咲く。私はそんなシャガが好きだ。



立ち止まったままシャガを見つめていた私は、あのご夫婦の笑顔に見た光りを、シャガの輝きに重ねていた。


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シャガ野原から白鳥たちが飛び立ち、あれほど明るかった木陰には、深翠の漣だけが揺れている。
見上げると桜の葉も、随分と色濃くなっていた。


これからも、そっと共に在らんことを。


私はそう願いながら歩き出し、小道に咲く小さな花々の名を、ひとつひとつ呼びながら家路についた。

優しい雨が降った日に。次の季節がもうそこまで来ている事を知る。







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雫がまたひとつ。

05 10, 2017
皐月 月齢13

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雨が降っている。

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雫がまたひとつ、生まれる。

ギボウシの葉が、揺れる。

流れてゆく。

を、眺めている。

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「コココココ、、、」

(ホオズキ風船を喉の奥にしまえたら、彼らのように歌えるだろか)

幼い頃、母がホオズキの中身を出して作るホオズキ風船を口の中で鳴らしてみせるものだから、私も私も、とせがんでやってみても上手くいかなかったっけ。試してみては飲み込んで、顔をクシャっとさせたっけ。


雨で身体に艶のでたニホンアカガエルは、嬉しそうに喉を震わせている。


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苔の大地に青モミジ。


「京都で雨に降られたら、ラッキーと思え。」ここに越してきてから読んだ本に書かれていた。
「ここらは雨が降ったら、もっと素敵だろうに。」ある晴天の日、すれ違った人たちの会話を耳にした。

(何も京都でなくても雨の日は美しいのにねぇ、、、)

私はそう思っていたけれど、こうして雨の日に歩いてみたならば、やっぱり「京都」と「雨」というキーワードは、屁理屈さえも包み込み、「ん、なるほど」、なのだった。

雨を喜べる暮らしを見失わずにいたい。そう思わないかい?


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雨が上がった。

雫がまたひとつ、姿を消す。





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蕗の薹の透明度と種の可能性を内包するもの。

03 26, 2017
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弥生 月齢27

菜摘み。
蕗の薹。


蕗の薹が開いてゆく様を数日見守っていた。


冬の風に頬がチリリとする季節から、揺れる髪と髪の間に仄かな陽射しが射し込む季節へと移行してゆく曖昧なインターバルに、ふと「あ、、、そろそろかしら」と脳裏によぎる野草。 その感覚は、周辺視野の最も端っこを掠めるカケスの残像に似ている。 そして毎年その感覚に狂いはない。蕗の薹のいる場所へ向かうと、「どうも」と芽吹いている。


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ファインダー越しに、今年も出会う。その透明度に驚かされる。ドキッとさせられる。こんなにも透き通る緑がこの世に在ることへの感動が私を襲う。
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蕗の薹の花に吸い込まれる様に見つめると、星空が広がっている。それらはギャラクシーそのもの。私はキョロキョロする。「ねー!ねーぇー!」と誰かに教えたくなる。だれもいないのだけれど。ヤマガラが通りかかった。何食わぬ顔で飛んでいった。


そんな話は夫にはしないのだけれど、夜の食卓に蕗の薹の天ぷらを添えた。我が家の庭にはいくつか株があるが、今年もひとつだけ摘んだ。こうして残しては、少しまた少しと増えた。なので、今年も半分こ。

小さな蕗の薹を半分。食す。

爽やかな青味の後をほろ苦さが追う。その後を春の喜びが全私を包み込む。


「ようこそ、春。」


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そうして春分がやってきた先週末。コートを置いて出かけた。春が堂々と懐の大きさをここそこに表現していた。春を身体いっぱい感じながら、生まれたばかりの子ヤギたちに会いに行った。

そして春分が訪れる19:29を想定してその少し前。コートを着込んで出かけた。向かう先は決まっていたので、私は夫を待てずに先に家を出て歩き出した。

私が石ころ蹴りをしながら歩いていると、あっという間に樹さんに追い付かれ、「子どもか」と追い抜かされた。反論しようとして止める。だって後数分で春分だとわかっていたから。


向かった先は去年樹さんが人知れずちっさな行動にでた場所。

この森の中で大規模な伐採が行われた土地がある。太陽光発電のソーラーパネル建設における住民運動が起こり事業は頓挫したのだった。当時、「良かったね」と人々は口々に言い合ったものだったが、丸裸になった大地はその後間もなくして話題にも上がる事もなくなり、そのままになっている。

「そのまま」というのは語弊があるかもしれない。それは人間サイドの言葉にすぎない。というのも、丸裸だった土地にも芽吹く植物たちが沢山いて、あっという間にパイオニアプランツたちが杉林に代わって森を作りはじめているのだから。



話は去年の春に戻る。



私は玄関先に残された樹さんの不可思議な行動の痕跡を見つけた。「この人は一体どこで、、、」と謎解きがはじまった。その行動の実行現場は裏庭だと推測していた。樹さんは裏庭に「実験畑」と称したエリアをもっていたから。ところが、彼が企んでいた事は、もっと広大だったことをずっと後になって知った。

彼は、夜な夜な伐採にあった土地に人知れず種を撒いていたのだった。夏がきて、秋がきて、冬になった。けれど芽吹きを確認出来ずにいた。


冬のある日。樹さんが種を手に入れないと、、、と言い出した。この人の中では未だに続いていることを知った。らしいな、と思いつつ、協力するつもりもなく私は「ふーーん」と聞き流していた。



2017年春分の瞬間19:29。
私たち夫婦は、荒れ地に種を撒いて歩いていた。暗闇の中、月明かりを頼りにその広い大地をフラフラ、サラサラと。

「意外とね、すぐに撒き終わっちゃうから少しずつがええよ」経験者のアドバイスを受け、私は気をつけながら歩いた。
二手に分かれようと言い合わせたわけではないけれど、自然と別々の方向へ歩き出し、お互いの姿が闇で見えなくなった。

斜面を登りながら撒き終わった頃に丁度再会した。歩いて来た方向を振り返ると、開けた空に月と星が輝いていた。私は呼吸を整え、小さく笑った。 家までの道のりで何か会話を交わすでもない。家に着くとただ「良い春分だったね」とだけ言い合った。


私たちはその花が咲き出す姿も、芽吹きでさえも確認は出来ないかもしれない。だけれども、私たちにとって実際の結果はさほど大切ではない。ただ、日常の中でふと、想像してニヤリとできるものがあるということほど、平和で幸福なことはないように私は感じている。



こうしてこの森にも春がやってきた。桜の蕾が大分膨らみだし、明日には一輪ぐらい、、、と話していたが、一夜明けたら雨が降り注ぎ蕾は閉じたまま雫を宿らせている。


桜が咲く頃になると、再び雪が降る。「冬に逆戻り」というけれど、どちらかというと冬が完全に去る前の春への挨拶の様に私は感じる。春の花や芽吹きを冬が掠め撫でてゆく。冬は実に律儀だなぁと微笑ましく思う。

そこには、例えば、蕗の薹の透明度や大地に撒かれた種の可能性をも内包している強さと優しさがある。
蕗の薹も芽吹きも、春の代表の様にイメージされやすいが、どちらも冬の大地の溜め息の産物のように、私には想えてならない。


小窓から雨が降り注ぐ森を眺めつつ、言葉を選んでは綴っている。
そんな休日も良いものだ。





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Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 夫の樹さん、黒猫のヤブさんと私Cooこと久弥子、ふたりと1匹、森暮らし。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれ、など。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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