夜の初まりの散歩。

06 27, 2016
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水無月 月齢21

それは先日の、樹さんの誕生日のこと。

病院からの帰り道。
私はイソイソと車で山道を登り、緑のトンネルを抜けてゆく。

雨上がり。
肌に残る空気の重み。
独特のあの感じ。

「今夜はきっと、、、あ、そうだ。ん。そうしよう。」


樹さんが帰宅すると、
私は、「蛍ツアーにご案内します。今日は私が運転します。」と誘い再び里へ。




畦道に腰を下ろし、
一本の雲がかかり、まるで輪っかを身に纏った土星のような丸く大きな太陽が、
西の空の終わるところへと消えてゆくのを見送った。

そして私たちは、夜の訪れをあの場所で待つ事にした。


蛍舞う、あの場所へ。

小道を歩く。
風がフワリと気持ち良い。

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それは、朧月の夜だった。

翳っては光りが和らぐ。
姿を現しては空を照らす。

私は朧月が好きだ。
瞬間で、空も月も表情を変えるから目が離せない。
見とれ吸い込まれゆく。


夕日に焼けた空の火傷が、
闇の涼やかさに癒えゆく頃、

「あ、いた。」

蛍が一匹、また一匹と光りを放ちだす。

その舞いの残像を残すかの如く線を描く光りを、ゆっくりと目で追うのだった。



この辺りでは、蛍たちが舞い乱れるというほどの数はみられない。
この地に引っ越してきた時は、それがちょっと残念だった。

けれど今では、
広い広い空の下、深い深い里の奥行きある景色の中、
森を背景に広がる田んぼと、蛙や虫たちの歌が添えられている光景が、
何だかちょっと特別に感じる。

そして、蛍たちのササヤカさに、より一層の風情を感じられる気がしている。



ところで、

「樹さんは、ちょっと変わっている。」という話を前回した。

実は、
ポケットの中には葉っぱだの石だの虫だのが入っているだけではない。
伐採にあった大地に一面の花が咲き乱れるように、夜な夜な種を蒔いていたりすることだけでもない。

蛍に関しては、彼のちょっと変わった不思議さを本領発揮してくれるのだ。


彼と一緒に散歩したことのある人は想像がつくだろう。
その歩き方にコツがあるのだろうか。
ちょっと独特なヘンテコな歩き方をする。


それが功を奏しているのか何なのか、何の苦もなく蛍に近づけるっぽいのだ。

そして、フワッと手を伸ばす。

蛍はその手の中に自然におさまる。
そして動じず、変わらずユッタリと光りを放つのだ。

樹さんは、「ほら」といわんばかりに掌を広げる。

蛍は飛び立とうともしない。

今回だけでない。
何故だかはわからない。

ただ、それが極自然になされているから不思議なのだ。


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蛍を手に、歩いている。

何事もない、というように。

ここに来る小道を歩いていたのと変わらない歩調で。


樹さんは、「月が綺麗ねぇ」などとホロリホロリほどの言葉にはすれど、
手にしている蛍のことに対して何も触れない。

「こそばい」と思い出したかの様に言うことはあっても。


朧月の光りと、蛍の光りとに、
ほのかに照らされて、
歩いている。

何だかとってもシュールな光景。

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そして、もう一匹。

私たちは、他愛ない話をしながら一緒に散歩を続ける。

散歩の途中、すれ違った人たちも数人いた。
私たちと同じく、蛍を探して歩いている。

彼らは気づいていない。
行く手を探さなくても、実は一緒に散歩していることに。

そんな、
夜のはじまりの散歩。



源氏蛍と平家蛍の両方が舞う頃。
それが、樹さんの誕生日。



あなたが生まれた日に。


あなたの誕生日を、今年は漸く覚えられた私だけれど。
お祝いらしい事もできないけれど。
私の方がギフトをもらってしまった気がしてならないけれど。


お誕生日おめでとう。


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真っすぐな好奇心。

06 22, 2016
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水無月 月齢17

梅雨になり、写真の整理をしている。

その中に、私たちが住んでいる山を南に下りたところの里にある「すそみの森」で、5月半ばに開催された田植えイベントの一日があった。
それらの写真に触れ、書き残しておきたいと思うことがある。

それは、「まっすぐな好奇心」についてのお話。

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その日、私たち夫婦(何故か樹さんも)は「苺屋さんのかき氷」として出店していた。
かき氷がよく似合う、晴れ渡った日だった。

店じまいの頃になると、様々なお楽しみが催されていた。

田んぼ泥んこかけっこレースや、すそみの森に生息する生き物ハンティング(という名がついていたわけではないけれど)など。

バットに集められた水生生物たちの説明に、私は「ほぉ〜、へぇえ〜」。
(素手で必要以上に集められたオタマジャクシたち等に胸を痛めつつ、、、)

一方、樹さんは、、、
「触覚がね!こんなんで!こんなんなってて!!・・・(以下、興奮のためジェスチャーと擬態語のみ)、でね、すーーっんごいの!!」

説明など耳に入っていないご様子。

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イベントも終わりにさしかかると、、、

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どんどん小さくなってゆく背中、、、

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じーーーーっ、、、

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ガサゴソゴソガサ、、、

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スタスタスタ、、、

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イソイソイソ、、、

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「これ、めーーっちゃキレーーーイ!!」

小紫陽花の透き通る青への感動を繰り返す。

「何この青!こんな綺麗な花、見た事ない!すっごい綺麗!!」

子どもの様な真っすぐな言葉だけれど、
そんな高ぶり溢れ出す感情が、私にも新たなる感動をもって、その美しさに触れさせるのだった。

そして樹さんは、またフラっといなくなり、、、

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それぞれの時間が流れている。

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そして再び、、、

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そして、イソイソイソイソ、、、

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すっと差し出された左手を開くと、モミジイチゴの実がコロコロンと小さく踊った。

私が山の苺の中で最も好きな実だ。

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そして右の手には、可愛らしい花が足されていた。

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ハクウンボクだろうか、エゴノキだろうか、それとも、、

言葉に出さずとも、花の雰囲気と記憶をチューニングしている。
各部位の詳細を確かめている。
私の頭の中は、経験と知識という枠組の中をグルグルしていた。

急に、、それが何だか妙に味気なく寂しいことに感じた。
「あぁ、◯◯ね」と自分を納得させるために、その花はそこにあるのではないのに、と。
そこには、ある種の突き放した感があるように感じた。


モミジイチゴのフレッシュな甘酸っぱさが口の中に広がった。

あぁ、今年の夏も美しい。

モミジイチゴの味が、私の中に静まりゆくのと同時に、そんな想いが共に沈殿していった。


・・・・・・・・・・・・・・・・


樹さんは時々花を摘んでくる。
山や森とは限らず、道ばたに「これ綺麗」という子に出会うと家に連れてくる。
そして花瓶に無造作に生け、食卓に飾っている。

枯れると森に返したり、根が出てきたものは庭に植えたり。

そしてまた一輪。また一輪。と。

そういうところは、私よりも女子的だ。

私はいつも、(野の花はそこにあるから美しい)と内心想っていて、摘んでこられた花を少し可哀想に思ってもいた。

けれど、この日、
一本だけ花を摘み、
これ綺麗!綺麗!!と無邪気に花を愛しんでいる姿に、少し考えさせられた。


カメラで彼の行動を追っているうちに、少し見えてきた。
食卓に飾られた花を眺めながら、また少し見えてきた。

こうして慈しむのも悪くはない気がしてきた。


そして、ある日、食卓の花がなくなったなと思っていたら、
枯れ始めたこの日の花たちが、庭先のレモンバームの植木鉢にさしてあるのに気づいた。
その光景はとてもシュールだった。

そしてふと思い出した。

幼い頃、私は卵をコタツの中で暖めていた。
暖めて雛がかえると思っていた。
だが、雛がかえったら嬉しいけれど、かえらなくてもそれほど問題ではなかった。

好奇心。
それはまっすぐな好奇心。
そして後先考えない衝動。

樹さんは「これなぁに?」とすぐ聞いてくる。
のわりに、その名前自体には余り執着がない。

「この実、うがい薬みたいな味がするんだけれど、何?」と。
食べられるのか食べられないのか、それが基本。
だから私の話も、知っていれば どうやって食べるのか、または何に使えるのかに続く。

「へぇーっ!今度それ作って!!作ってー!」

自分で作ろうとはしないのが子どもみたいで面白い。

この人の目には、この世界が面白いものでいっぱいに写っているのかもしれない。
だから、時々フラッといなくなるのだろう。


得てして、知識をつけたいと、人は思う。
けれど人は、知識は増やせても、こうした真っすぐな好奇心は持ち続けられるだろうか。

知識は教えられても、こうした真っすぐな好奇心を持ち続けることを教える事はできない。


樹さんはよく私の事を「考え過ぎ」と言う。
今まで考えないで過ごしてきてしまったものを考えているんだよって言い返したくもなるけれど、その反面、そうなのかもしれないと想ったりもする。


子どものような大人。
とても不思議な人って極希にいる。

そんな樹さんをみていると、私は自分を反省したり、考えさせられることが多々ある。
私は随分と色々なものを着込んできてしまったな、と。

そして、私の方が様々な森の事を教わっていることを実感させられるのだった。

本当に大切な事とは、そういうことなのかもしれないと感じさせられるのだ。

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田植えされた稲たちが夕暮れの風にたなびいていた。
水田を走る波紋のリズムに揺蕩いながら、
「丈夫に育て」と願うのだった。

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そして、樹さんの誕生日だった週末。
この場所に蛍を見にいった。

そこでもまた、樹さんの不思議な天然さに触れる事になるのだが、、、

それは、また別のお話で。


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旅立ち。

05 07, 2016
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皐月 新月


時には森を離れ、春の海に会いに。

ひもすがらぼんやりと手足を伸ばして・・・人魚の嘆きが聴こえてきそうな。


夜明けの海は、限りなく澄んでいた。


そして、樹さんはいつものごとくフラリといなくなり、
気づくと小っさくポツンとそこに。

今まで私は、何度その小さくなった背中を探しただろう。
これからも私は、何度その小さくなった背中を探すのだろう。

そして、何度シャッターをきるだろう。


その当たり前の様に風景に溶け込む姿に、時々嫉妬に似た感情が生まれる。

これほど当たり前に、生きながらにして自然の一部になれるということに。


「当たり前」ってなんだろう。
ふと思った。

当たり前だと思っていることほど、尊いことのように思えた。


ふと、、

「ものすごく当たり前のことって、何?」と私は問いてみた。
「太陽が東から登ること」と樹さんは即答した。

その「脳を通すまでもない」とでも言わんばかりの反射の如く投げ返されたその言葉に、

そうだよね、そういうことだよね。


そう改めて想うのだった。


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そして、田植えの季節がやってきた。
つまり、立夏。

苺農園での作業と、種生姜の植えつけ作業で終日良い汗をかいた連休。

帰り道にみたこの光景は、この地に暮らして良かったという想いを、
静かに沈殿させていった。


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新月の夜に、「旅だち」に思いを馳せながら、旅に出る支度を整える。

そして私たちは、朝が来るのを待っている。

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森のある暮らし「ことり〜cotori〜」主宰。 三日月生まれ。 森と写真と黒猫と美味しいものと。 Coo、時々、久弥子。

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