ささやかに十三夜。

11 01, 2017
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霜月 月齢13

十三夜の今日、写真の整理をしていると、今年の十五夜つまり中秋の名月に、嵯峨嵐山大覚寺で催された観月会で撮影したものに目がとまった。

暫し眺めていると、あの夜の服の繊維の隙間に忍び込もうとする闇の冷たさと、夜の香り、そしてどこか浮世離れした情景が私の内に膜を張る様に再現されてゆく。その感覚をゆったりと沈め込みながら今日という日の午後を過ごしていた。

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「明日は十三夜だよ。忘れずに。」
十三夜であることを教えてくれた友人の言葉がふとよぎる。

十五夜を愛でたら十三夜も愛でるのが習わしであり、片方だけを眺め祝うことを「片見月」といい、縁起が良ろしくないと言い伝えられている。月を眺める眺めないで縁起に繋がっては、月を眺める本来の気持ちが濁っていたたまれない気もしなくもないし、お月さんもどこか気の毒に思えてしまうけれど。

夕べ、夫と夜の散歩に出かけた時に見た、紅葉がはじまりかけている瑠璃光院門前の椛越しにみた月明かりに愁があり、実に美しかった。名もない夜の月を祝った宵に土佐のお酒を少々。じんわりと良い夜だった。

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十三夜には栗や豆を備えるそうで、「栗月」とか「豆月」とも呼ぶそうだ。
そういえば、森の中で拾った山栗ひとつ、食卓に飾り大事にしすぎている。そうだ、今夜頂くとしよう。
夫が随分と前に買ってきてくれた月のお茶も、嬉しくて大層大切にしすぎている。そうだ、今夜頂くとしよう。


'Waxing Moon'  


満ちる月と共に膨らむ何でもない幸せを拾い集め、多くを求めず、抗うことも争うこともなく、今日も静かに祈る様に暮らし、秋の深まりをささやかに祝いたい。

山間にある我が家からは、月の出が遅れる。時々窓の外を気にしながら夜を迎えている。

今宵も月見散歩に出かけるとしましょうか。



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月夜に、パターソンを。

10 05, 2017
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神無月 月齢15

「月に虹がかかってる」

中秋の名月だった昨日。大覚寺の観月会で水面に映る月を愛でた帰り道、夜の鱗雲に撫でられた月は刻々と表情を変え、夜空にダイナミックな存在感を放っていた。

美しいとしか言いようのない光景。
鴨川に映る月も、高野川に映る月も、同じなのに違って見える。


ここ数日、月が明るく照らしている。今夜もまた会えるだろうか。
ここ数日、月が美しく誘ってくる。今夜もまた出かけるとしよう。


今年はうっかり中秋の名月を忘れるところだった。
ジム・ジャームッシュの新作を観に出かけた夜、公開が次の日からだと知り愕然とした瞬間、すれ違った人の香りで思い出した。

「もうすぐ中秋の名月だ」

世界はうまいこと出来ている。



「きっと好きだよ、この映画」

一昨日観に行ったばかりの映画を、今度は夫を誘いもう一度観に出かけることにした。

帰り道に月を探して四条通りから鴨川を超え歩くだろう。映画の話でもしながら。山に戻り高野川にかかる吊り橋を渡ったら、今日も少しだけ遠回りして家路に着くだろう。遠くに鹿の声が聞こえるだろうか。



今宵は満月。



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長月の満月に。

09 06, 2017
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長月 月齢15


見えない、から、いない。

ではなく

見えない、けど、いる。



その微かな心音に触れている。

長月の満月に。






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嵐の立秋に。

08 07, 2017
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葉月 月齢14

目が覚めると雨が降っていた。いつもよりも涼やかな朝だった。

今日は嵐がやってくる。だから今日はラジオをつけずに森の音を聞いている。ヒグラシが羽を鳴らしている。今日は薄暗いからだろう。ヒグラシの羽音が昼を過ぎても止む事はなく、森に響くミンミンゼミやアブラゼミの音を微かにさせていた。

私はヒグラシが好きだ。雄の羽根の色が好きだ。雌の透明感も好きだ。そして、一匹が鳴き出すと追うかの如く一斉に鳴き出し、そしてフェードアウトする。を、くりかえす。その波が好きだ。


その息継ぎのような「間」に、生きることの美しさを感じる。 嵐にも「間」がある。これからやってくるものをより強く五感で受け取らせようとする「間」である。


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そして嵐がやってきた。私は森へ出かけた。

嵐の森は唄う。このブログでも何度かそう書いた。どんな唄なのか上手く言葉にはできない。山にいて地震がやってくる直前にも山は唄う。それはもっとわかりやすく「あ、来る」とわかる。それとこれとは似ているのだけれど少し違う。

嵐の森唄は、耳で聴こえるものではない。嵐が唄い、森も唄う。そして命が震える。それは、はじめて龍に触れた時の感覚に似ている。


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雨に打たれ、空っぽになった。

そして今、パソコンに向かいながらも、時折森の唄を感じる度に手を停め、闇に包まれゆこうとする嵐の森を窓越しに見つめては、光りが差した空を駆け上がる無数の龍を想い描いている。



今日は立秋。嵐が秋を連れてくる。
明日は満月。闇に光りが灯る。


この狭く広い世界の中で。

蝉たちの羽音とやってくる秋、ほんの短い森の唄や山の唄。長く続く闇と月の光り。今も色褪せずにある想いや消えない痛み。そんな嵐と「間」を慈しみながら、人は生きていけるものなのかもしれない。


そんなことを、嵐の夜に、考えている。
とても静かな夜に。









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アルデバランと月が重なるところで。

01 09, 2017
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睦月 月齢11


嵐が吹き荒れた一夜。


樹々が倒れはしまいか。
あの小さな鳥の巣は落ちはしまいか。

黒猫のヤブを腕に、大丈夫だよ、きっと大丈夫。と布団に潜り込む。

森の唄は一晩中響き渡っていた。



眠り方を忘れたかのように迎えた朝。
嵐が通り過ぎてゆくのを見守っていた。



(どうせ眠れないのなら、嵐の森で一夜を過ごせれば良かったのに)



静まり返った空を確認すると、少し安心したのか眠りについた。


夢をみた。


森の夢だった。




目が覚め森に出かけた。

気づくと日が暮れはじめていた。


蝋梅の香りが辺りに漂いはじめた。

空の色が濃くなるほどに、その香りも濃度を増していった。


むせび泣きを誘うほどに、美しい香りだった。


闇が森を包んでいった。

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ほのかな光りが灯る。
野生動物が動き出す。

その温度に確かな安堵感を覚える。


私という命もまた、ここに生きているということを、
痛いほどに知らされるからだろうか。


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雲間から見え隠れする月に問うてみる。

(私から森をとったら、一体何が残る?)


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今宵、この夜空に繰り広げられる天体ショー、アルデバラン食。


アルデバランと月が重なるところで、

天体たちはどんな言葉を交わすだろうか。


その微かな音に耳を傾け、ウツラウツラする夜が今夜もやってきそうだ。



P.S.

そちらの森はいかがですか。
あなたが書いた「くぅちゃんへ」という文字を指でなぞっては、ほんのり想い、
あなたと、あなたの大切なものたちに会いたいなぁと、ぼんやり想っています。



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Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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