「狐と葡萄」のホットミルク。

01 20, 2017
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睦月 月齢22

ヤマブドウ。
それは、私にとって幼い頃覚えた味と物語に繋がる。


実家の近くでヤマブドウが採れたわけではない。
私にとって、ヤマブドウは街の味なのだ。


年に何度もないけれど、母と一緒に街に買い物に出かけると、帰りに喫茶店に連れて行ってくれることがあった。
カウンター席しか記憶にないが、とても小さいお店だったことは確かだ。

大通りからは外れた、何度行っても覚えられないその路地に、その店はあった。
長細い店内、暗い部屋に映える窓からの僅かな射光、奥から聞こえる掠れた音楽、そして珈琲の香りと湯気の湿り気。
カウンターの椅子が高く、私は母にひょいっと持ち上げてもらって席につく。

色とりどりで形も様々な珈琲カップが、店主の背景に隙間なく並べられている。
その店を訪れるお客さんの数だけ専用のカップがあるのではないかと幼心に思っていた。
実際、母は言わなくとも、いつも同じお気に入りのカップにサーヴされていたからだ。


カウンターの上にもカップやグラスなどが置かれていて、私からは店主の顔は見えず、グラスの間から時折見える手を眼で追っていたので、何か聞かれても私はキチンと答えられていたとは思えない。
珈琲を入れるサイフォンが秘密道具のように映り、その店に行くと眼に入るもの全てが魔法に見えて、言葉を失うのだ。


店主の女性は、当時の母と同じくらいの歳だったと想像する。
私たちが行くといつも、声を大きく弾ませて店の奥へといざなってくれた。
顔は全く覚えていないのに、店主の笑顔のイメージだけは感覚として今も残っている。


母は、誰も知らない田舎の地に嫁ぎ、友だちもほとんどいなかった(作らなかった、という方が正しいか)。
だが、この店の店主とどう知り合い、仲良くなったのかは謎だけれど、幼なじみなのかと思うほど話に花を咲かせていた。


話をしながら、店主は注文もしていないのにカップとグラスを手元に呼ぶ。
母には珈琲、私にはヤマブドウのジュースと決まっているのだ。



グラスいっぱい満たされたクラッシュドアイスが、ヤマブドウの鮮やかな紅紫色が徐々に染まってゆく。
そのグラデーションが落ち着き、並々と注がれたそこにストローが身を浸ける。

そっと差し出される白いコースターと魅惑色したヤマブドウジュース。
クビをキリンのように伸ばしてストローと出会う。




ヤマブドウよ、ようこそ、私へ。




私はこのヤマブドウのジュースが大好きだった。
本当に大好きだった。

葡萄ジュースみたいにしつこく甘くなくて、酸っぱい。そして爽やかな甘味が残る。
ゴクリとすると、アゴと耳たぶの付け根境あたりがキュンと喜ぶ。

未だに忘れられないご褒美の味。



この店に行く時、母は「アスカ」と呼んでいたが、店の名前だったのか、店主の女性の名前だったのかはわからない。
店の情報は何一つ知らないまま。今でもあるのかすらもわからないし、母にも尋ねない。

森の味を街で。

それは、中々良いものだった。


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ヤマブドウのコンフィチュールを。
冷凍したものでも作りやすい。
鍋に残るこの色がたまらない。だからホーローの白鍋で作ると決めている。

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幼い頃覚えた物語がある。
イソップ童話の「狐と葡萄」だ。

あの中で、狐が一生懸命ジャンプしてもどうしても届かない葡萄は、ヤマブドウのことだと私は思っていた。
「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と狐は捨て台詞を吐いて去る。

ヤマブドウは葡萄に比べて実も小さいしシワシワになりやすく、酸味が強い。
葡萄を食べられなかった狐の負け惜しみだったのかもしれないけれど、酸っぱい葡萄=ヤマブドウだって美味しいのにな。と思っていた。
そして、「食べてみないとわからない」という教訓だと解釈していた。


いずれにしても、狐くん、「届かぬものは残すためのもの」ってこと。
私はそう思うよ。


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鍋に残ったヤマブドウのシロップ状になった液がもったいない。
ミルクを注いで、ホットヤマブドウミルクにする。
これは、ちょっととっておき。

酸味を残したいから、ジャムではなくて軽いコンフィチュールに。
コンフィチュールはヨーグルトやクリームチーズと一緒にクラッカーに添えても美味しい。


大人になった今、そんな楽しみも覚えましたよ、アスカさん。


狐が雪の中をジャンプしている姿をイメージしながら、遠い記憶が暖かい。
そんな一息をいれられる午後が嬉しい。


大寒。
心暖かくお過ごし下さい。



野草粥のススメ 〜七草粥〜

01 07, 2017
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睦月 月齢8


澄み渡った青空、ヒンヤリとした空気。
冬らしい日だった昨日、七草を集めにいきました。


お正月をはじめ、日本の風習は実に美しい。
1月7日の朝に七草粥を頂く風習も然り。


現代では七草粥を「正月のご馳走で弱った胃に」という考え方もありますが、冬のこの時期の「若菜摘み」自体に、無病息災を祈って行われていた習わしは元々あったそうです。

小寒に入り冬が本格的になると畑の青菜が少なくなるので、野草を摘んで栄養を頂くということだそう。

「春の七草」と呼ばれる通り、もう少し先に開花するものの、花開く前の冬の寒さにも負けじと葉を広げている野草や野菜は、実に強いエネルギーを備ていると思いませんか。


というわけで、いざ若菜摘みへ。


【春の七草】
セリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ(ハコベ)・ホトケノザ(コオニタビラコ)・スズナ・スズシロ。


スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)が家にあることを確認して、残り5種の野草求めて山を下り里へ。

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この季節、遠目では一見、乾枯し荒涼とした景色に思われがちですが、

その足元には若葉が広がっています。

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このフレーム内に何種類の野草を見つけられますか?

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この2つの写真内だけでも食べられる野草でいっぱいです。

そう聞くとワクワクしませんか?(私だけかしら?)

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まずはハコベ。

見つけやすい上にボリュームあります。
ですが、味が主張するので量的に集めやすくとも控えめがオススメです。

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注意したいのが、
七草でいう「ホトケノザ」は、↑この「ホトケノザ」ではなく、コオニタビラコ(小鬼田平子)のことです。

それにしても、この時期に咲く野の花というのは、可愛さ倍増!

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「ゴギョウ」はハハコグサのこと。

白いベルベット状な葉は、見つけやすいですね。


という具合に、フラフラ散歩。

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山に戻り、フラフラ。

もう紅梅が満開です。

見とれていると、エナガご一行が近寄ってきました。

私は鳥の中でもエナガちゃんが特別大好き。
彼らは手が届きそうな距離まで(時に羽ばたきの小さな風を頬で感じられるほどに)近寄って来てくれる愛嬌良し。

ご一行が通り過ぎてゆくのをフンワリと待つことほど幸せな時間はありません。
もうお粥のことなんて忘れてしまっても良いくらい。

(そもそも、ここまで戻って来てしまってはセリには会えないし・・・
ナズナもコオニタビラコも、見つけられなくはないだろうけれど、ここまで満たされてしまったら、もう十分無病息災祈願済みだよ、きっと・・・)

と思いながら歩き出すと・・・

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オニタビラコ。
コオニタビラコではないことに溜め息。

と、思わず溜め息をついてしまった自分にハッとする。
「溜め息!? オニタビラコに出会えたんだよ!この季節に!しかも花ついているじゃないの!」


目的をもって野草摘みをする上での盲点。

こうなると、申し訳ない気持ちが勝って、オニタビラコで手を打つか・・・なんて気すら到底起きるわけもなく・・・
(そもそも、コオニタビラコとオニタビラコは似て非なるものだけれど)

ふと、手がかじかみはじめている事にも気づくと、夕焼けが色濃くなっていました。

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梅も夕焼けておりました。
辺り一面、梅の花の香りで包まれています。

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(もう帰ろう)

と歩き出す先に、、、

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夕焼けるナズナ。

その先にもナズナ、ナズナ・・・


何だかねぇ。
こういうのが、何だか申し訳なく感じてしまうわけです。

ありがとうねぇ、と少し摘ませて頂き家路に着くのでした。

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そして7日の朝。

朝食前に若菜摘みの続きへ。

その結末は・・・


七草が八草に。

そして何やらちょっと、あれ?が。


*答えがわかった方、こっそりメールください。正解の方には森の新年のご挨拶ギフトをささやかながらお贈りいたしましょう。

coobluemoonアット(@に変換してください)gmail.com



「8は末広がりでいいじゃない」と言われ、
「それもそうねぇ」と。

丁度月齢も8日目ですし。


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こうして実際に若菜摘みをして思うのは、
七草全種集まればそれはそれで良いけれど、若菜を摘むという行為自体がとても健康的な仕事(?)初めだなという事。

小寒を迎えた今、お年賀から寒中お見舞いに移り、冬が深まりゆくわけですが、身の回りには春を予感させる野草たちがこうして芽吹いていると知れる事。


そういうことこそ大切な事のように思えるのでした。



七草粥に限らず、若菜摘みで野草粥を。

身体が温まり、野草パワーを丸々取り入れられ、朝のスタートにもってこい。


冬は気持ちも内に入りやすい季節。
こういう形で野草を時々いただくのもいいなと、改めて思います。


3連休ですね。
若菜摘みに出かけてみてはいかがでしょう。

あなたの周りにも、沢山の芽吹きがあることに気づかせてもらえると思いますよ。




・・・・・・・・追記・・・・・・・・


野草摘みにおきましては、毒草との誤採取をさけるための知識が必要です。

七草に関しましても、例えばセリとドクゼリのように生育場所を同じくしているものもあります。

とはいえ、野草に触れる敷居を感じるのではなく、情報を知識としてとらえるのでもなく、自然の中を散歩しながら少しずつ触れ合ってゆく中で学ばれることをオススメします。

野草を知るには毒草を学んだ方が早いともいわれますが、知る事で楽しくもなり、自分をも救うことになります。


また、知っていると過信する事なく、常に自分を疑う心も大切だと思います。

これらは、「毒学」というワークショップでもお伝えしてきたことですが、改めましてここに追記として綴らせて頂きました。


皆さんの好奇心と学びが、バランス良く自然と共にあることを願います。


Coo記




御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

01 03, 2017
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睦月 月齢4日

新年のご挨拶を申し上げます。


ここだけの話、
我が家は到底新年に間に合いそうにない年の瀬だったため、

樹さん:「我が家は世間から2日遅らせよう」
との提案が。

つまり、1月3日を我が家では元日とする、という。


私:「そうねぇ、休日がなくて長く感じる6月辺りに、2日ほど早めて帳尻を合わせましょうかね」
とちょっと安心した師走30日、、、


と思いきや、諦めた途端に諸々を手放せたようで、
世間のカレンダー通り新年を迎えられた奇跡。


とはいえ、おせち料理は簡易的に。
気づけば御屠蘇用の日本酒の用意を忘れていました。


というわけで、森のお酒をいただくことに。

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果実酒専用の棚に並ぶ数ある瓶から選んだのは、


梅の花酒。


かれこれ10年ほど前に摘んだ花たち。

裏高尾の森で、雪の上に舞い落ちた花を集めたもの。


あの時の記憶と、今この時が、
あの森と、この森とが、

ひとつになる。



花酒を口に含むと、満開に咲きほころぶ梅林の光景が広がりました。

殊に、私が好きな、雪の日に香る梅の花の残像が浮かぶのでした。

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あぁ、今年も梅が咲く季節を迎えようとしています。

新しい年のこの季節を迎えられたことへの喜びが広がりゆく。



御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

これは中々良いものです。


というわけで、我が家らしいお正月となりました。



さぁ、どんな年になるでしょうか。


皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。



アケビと山女。

11 15, 2016
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霜月 月齢15


アケビです。

通草と書きます。漢方では木通(もくつう。アケビの木部)。

山女と書いて、アケビの別名ともいいます。

なるほど、果皮の淡い桃色がかった紫色は、艶っぽい着物の色を憶わすし、果実のほのかで上品な甘さは、そのような着物が似合う女性が食していそうにも想えます。


とはいえ、アケビは蔓性植物で高いところに実を付けます。


アケビを摘んだ経験のある方はご存知でしょうけれど、樹の上や山の急斜面を這いつくばってでないと手に入れられない事が多い。

アケビ採りというものは、お淑やかな女性であっては、とてもじゃない、つとまりませぬ。


それ故に、「山女」という響きがピッタリだと、私は思うのです。



アケビは完熟すると、この写真のように、パカーっと一直線に割れて果実が現れます。

その開く一部始終を見てみたい。

それが私の夢でもあります。


ひとつ見つけると、蔓沿いに いくつか実が一緒になっていて、まだ開いていない物もあります。
そういう時は、ナイフでスーっと一線引くと、同じ様に綺麗に割れます。

その感触が私はこよなく好きで、ニンマリ。


あぁ、なんと美しい森の恵みなのでしょうか。


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(あ、そうだ。イシシシシ・・・)

ウフフフフ、ではないのが、山女らしさです。

カゴに秋を詰めこんで、「わー!」と言わせよう。

裏庭をぐるっと散歩しながら秋をひとつ、またひとつ・・・

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(シメシメ。)

蓋を明けたら秋が飛び出すビックリ箱の完成です。



・・・・・・そしてその夜・・・・・・・


「わーー!」

案の定。

(ククククク。)



アケビの果肉をスプーンですくって口に含むと、ふわーっと優しい甘さが広がります。

アケビは種が多い。
とにかく多い。

種ごと口に含んで、舌でクニャクニャして味わい、種を出します。
私はこれをすると、いつも口の中がつってしまうのです。

それほど種が多いということと、果肉を出来るだけ食べたい欲がそうさせるのです。


摘んだその場で食べるなら、機関銃のように種を吹き出しながら歩いて帰れば良いのだけれど、この日、夜な夜な、裏庭に種を撒きにウロウロ。

裏庭でアケビが採れるなんて、ちょっと素敵だもの。




さてさて、
アケビというと、果肉も美味しいけれど、私にとってメインは果皮です。

今まで、アケビをプレゼントしたことが何度かあるのだけれど、果皮も食べられる事があまり知られていないことを知りました。


どうぞ捨てずに!とっても美味しいのですから。


定番は恐らく、果皮を切って肉味噌(ひき肉)と炒める、でしょうか。

私流のレシピは、果皮を一口大に切らず、大胆にそのままで。
肉味噌の味噌をコチュジャンで作ります。味付けは醤油と砂糖。甘辛く。
果皮の果実が入っていた部分に、肉味噌を詰めて、オーブンに入れるだけ。簡単です。

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(↑焼く前)

ひき肉の脂が回って、アケビの皮が柔らかく焼けます。
ジュージューしてきたら出来上がり。


アケビの姿をそのままに。
カプリと頬張ると、アケビの僅かなほろ苦さと、肉味噌が良く合ってご飯が進みます。

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今年もこうして、私の中に秋が広がりました。


森の恵みを頂くということ。

それは、私が季節に染まり、森が私の中に息づくということ。


そうして、私はまた少し、森と近しくなった様に感じるのでした。

お上品な女性を目指すよりも、山女でありたい。
私はアケビを頬張りながら、ニンマリ想うのでした。



アケビさん、ありがとう。
森よ、ありがとう。




キノコで遺言。

09 08, 2016
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長月 月齢6




あれは夏の初まり頃だっただろうか。


樹さんは突然「キノコを沢山食べるんだ」と言い出した。

唐突すぎて、「キノコ、、ですか、、、」と私。

話を聞くと、「奇人はキノコを沢山食べているらしい」という。どうやら奇人になりたい願望があるらしい。


そもそも、あなたは十分変わっているので、その必要はないし、
そもそもそもそも、キノコを食べると奇人になるのではなく、奇人と呼ばれる人がたまたまキノコ好きだっただけじゃ、、、


と私は内心想いながらも、「はーい、キノコね」と次の日からキノコ料理を出し続けた。


(毎日出していたら、そのうち言わなくなるでしょう)

と思っていたら、残暑の頃にはキノコキノコ言わなくなった。


(シメシメ)

と思っていたら、秋の入り口になり、今度は私がキノコキノコになった。


(食べるためではなく、鑑賞のためだけれど)

というわけで、先週末、樹さんを案内してキノコをみつけに森へ出かけたのだった。




「わーっ!なにこれー!」と大はしゃぎの樹さん。


えぇ、えぇ、
このフォルム、この色合い、あなたも好きでしょうねぇ。へへん!


と自慢げにタマゴタケを紹介する私。

(私が自慢げになる意味がよくわからないけれど)



樹さんが食べてみたいと言い、3本ほど摘んで帰る事にしたらしい。

せっかくの機会だから、自分で調理してもらうことにした。



家に帰り、私は夕飯の支度をはじめていると、椅子の下に何故かタマゴタケが一本落ちていた。

ん?と思って手にしたものの、私は夕飯の支度を続けた。



一段落して「さてと、、」と樹さんにキッチンを譲ろうとして驚いた。

タマゴタケが入っている袋の中に、知らない毒々しいキノコが入っている、、、


一体いつ忍ばせたのよーっ!



「樹さん、これ、、、」

「あぁ、後で調べようと思って♬」


「キノコって胞子あるって知ってるよね?」

「ん?うんっ」

「これが毒キノコだったら、、、一緒に入れたらうつっちゃってるかもよーっ」


ガミガミ言いたくないんだけど、ガミガミ言っちゃうのよね、こういう時って。
でもすぐガミガミ言ってる自分に気づいて、

「言ってあげなかった私が悪いんだけど。言わなくてごめんね。」

と謝れど、樹さんは既にションボリ。


私は心の中では「もぉー、考えたらわかるでしょー、子どもじゃないんだからー」と呆れつつ、
私にとっては当たり前のことが、他の人にとっては当たり前ではないことも、
これ以上ガミガミ言い続けると、樹さんが鬼のように怒り出し、私が縮こまることも、
私は樹さんから学習している。



となると、ここからはフォローに回るしかない。


「しっかり洗ったら? 傘の裏の方まで(自己責任でね)」


味付けの仕方だけアドバイスして、後は任せる事に。

樹さんは「わーーっ!色が消えるーっ!」と無邪気に一喜一憂しながら調理し、ビクビクながらも食して満足そうだった。



念願のキノコが食べれて良かったわね。




で、終わるはずだった。


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夜更けて、私は次の日に会う予定になっていた友人にお手紙を書いていた。


樹さんは隣の部屋で寝転んで本でも読んでウトウトしていたのだろう。


「◯▲*##◉◎・・・」とムニャムニャ聞こえてくる。

「何?」と聞きに行くと、

「えぇーっとなー、青くてなぁー、キラキラしててなぁー、めっちゃ綺麗やってーん・・・」


寝言のように言っている。

どうやら、瞼の裏側に何やら写っていたらしい。


私はふと思い出した。椅子の下に落ちていたキノコのことだ。


(私、あのキノコを触った手、、、料理続ける前に洗ったっけ、、、?)


「へぇ〜、綺麗なんだー。いいなー。」


私はスススーっと部屋に戻り、急いで手紙の続きを書きはじめた。

そうして季節の挨拶とお礼のはずのお手紙は、「遺言」へと変わったのだった。


私は信頼のおける友人に伝えなくてはと思ったのだ。


・私も樹さんと一緒に、永遠に旅にいっても、これは心中ではないこと。
・私はいつか山羊農園をもちたいと思っているから、今はまだ死にたくはなかったこと。
・けれど仕方ないから、私も白州次郎氏のように「葬式無用、戒名不要」で、そして撒いてほしいこと。


お土産といっしょに手渡すはずの手紙だったけれど、
これを見つけた人が、その友人に送ってくれるように、封筒にキチンと住所を書いた。


ここまできて、私の心残りは山羊農園のこともだけれど、切手が手元にないことだった。


(見つけた人、ごめんなさい。切手買ってください。。。)




「明日、朝陽みれるかなぁ、、、」



そう思いながら私は眠りについたのだった。


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と、大げさに遊び心をくすぐって、日々のスパイスにしている我が家。

こうして投稿出来ているのだから、もちろん無事です。

キノコを食してどのくらいの時間で症状が出るのかはキノコによるでしょう。



猛毒で死ぬ場合も、一度目は大丈夫でも2度目が命の危険に繋がるとか、
すぐにあの世へゆくことになっても、「こ、このキノコがっ、、、!!!(ガクッ)」と後世に伝えられる時間を、キノコは私たちに与えてくれるとも聞いた事がある。


本当のところはどうかわからないけれど、素人がキノコ狩りをするのは慎むべきでしょう。


キノコ狩りをする時は、言うまでもなく「後で調べよう」キノコはまぜないこと。

キノコを残すためにも菌糸が森に落ちるように、ビニールや袋ではなく、収穫カゴを使う方が良いよね、とかも言われている。

キノコ界って奥深い。

キノコに限らず、わからないうちは手を出さない。大切ね。



けれどね、ここだけの話、、、


「こ、このキノコが、、!!」と後世に伝えられる役に、ちょっと憧れなくもない自分がいるのだけれど、、、


いやいや、いやいやー、ダメだよ、ダメダメ。



というわけで、
私ももっとキノコと仲良くなりたいので、暫くキノコと一緒にポコポコしようと思います。


さぁさぁ、みなさん、秋ですよ。



Current Moon
CURRENT MOON
プロフィール

Author:Coo
森のある暮らし「ことり〜cotori〜」主宰。 三日月生まれ。 森と写真と黒猫と美味しいものと。 Coo、時々、久弥子。

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