春の味覚祭りとご報告と。

04 21, 2017
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卯月 月齢24

柔らかなものに囲まれる春。

気づけば初夏の陽気になっていた。「春眠暁を覚えず」といういう台詞を春風のようにアクビと共に棚引かせたい。今春の私はどうかしている。

毎年、この時期は浮かれまくっていたではないか。恐らく、鼻歌混じりに歩く小道も、スキップの「トンッタタン」の「トン」と「タタン」の間の「ッ」ほど常に浮いているのが春というもの。 けれど今年の私はというと、「タタン」の「タ」と「タ」の間の文字的には表現されない程度(実寸ではほんの0コンマ数ミリ)ほどしか浮いていない(浮かれてもいられない)でいるイメージ。

けれど、どんな状況に晒されていようとも、時間に追われていようとも、例え0コンマ数ミリであっても、春というものはフワっとした何かを含んでいる事に有り難さを感じている。

その慌ただしさの最中の今日、裏庭で春を摘んだ。ニワトコの花、ツクシ、山椒の葉、タラの芽。つまり、私の好物たちだ。そして毎年恒例のあれこれを作るのだ。

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ニワトコの花は、シロップに。
葉も枝も独特な香りのニワトコだけれども、花は独特でも甘くどこか爽やかに深い香りで包み込んでくる。このシロップは数ある花のシロップの中でも私が最も愛するもので、欠かす事ができない。この家に移り住んで最も嬉しかったことのひとつが、ニワトコの樹があったことだった。それほどまでに私にとってニワトコは大切な植物である。

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筍ごはんに山椒の葉を。
山椒の葉をパンっ!と掌でたたく。香りたつ。山椒の葉がなくとも筍ごはんは確かに美味しい。けれど、山椒の香りが加わると無敵だ。飛び込んで頭の方へ抜けてゆく。「奥行きがでるね」と夫は言う。確かにその通りだと関心させられる。

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タラノメは天ぷらに。
何の捻りも必要ない。天ぷらが一番。以前沢山タラノメを頂いた時にグラタンの様にしたことがあった。それはそれで好評だったけれど、天ぷらなしには語れない。

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そういえば、塩豚が仕込んである。そしてセリがある。この組み合わせは間違いない。

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せめて。そう、せめて、ね。
こんな時だからこそ、大切にしたいものがある。それが「旬」だ。


お腹いっぱいになった頃、夫の樹さんが言う。「そういえば、、、ツクシ摘んでなかった?」
ツクシは、、、去年もレシピを紹介した肉汁炒めに、、、明日する予定で今日のところは春の味覚祭はお開き。



お腹いっぱいになると毎年「また来年」と「ごちそうさまでした」とに手を合わせる。
だけれど今年は、、「来年も味わえるだろうか」と「ごちそうさまでした」とに手を合わせた。


そう、私たち夫婦は、この森を離れる事になったのだ。


新天地でまた大好きな野草や薬草たちを一から探す事になる。それは楽しみでもあり、不安でもある。ここまで自分の中で大きく欠かせない存在になっている野草薬草たちがいることに気づかされる。

今日これらの野草たちを摘みながら、切なくなった。とても切なく、けれど暖かく。ジンワリジワジワ、泣きそうになった。


「失う事は手に入れる事」


ミュージシャンでもある夫の曲にある言葉がよぎる。そういえば、裏高尾から筑波山に引っ越した時もそうだった。そして今があることを想う。


うん、大丈夫。きっと私はまたあの薬草やこの野草を、ここあそこと見つけては喜び浮かれて過ごしてゆくのだろう。これからも私は、そうして生きてゆくのだろう。



歳を重ねるとは、ないものを嘆くという行為が徐々に減ってゆくことなのかもしれない。目の前にあるものを喜び、有り難く想いゆく。そうして角が少しずつとれてゆくのかもしれない。少なくとも、私はそうなりたいと願っている。


cotoriの森で過ごせる時間も残り僅か。大切に過ごしたいと想う。心に焼き付ける様に。



【追伸】

空と大地の教室「つきのわぐま」に続き、「森のある暮らしcotori」としてブログを続けて参りました。引っ越しにあたり、この1年本当に色々とありましたが、場所や形は変わっても森のある暮らしは続けられることになりました。とても思い切ったことではありますが、これが私たち夫婦らしい決断であったと信じます。

ご報告が遅くなってしまった皆さん、申し訳ございません。突然のことで驚かれたかもしれませんが、新天地の家が決まったのもつい2週間前のことでした。急にバタバタしいるため、メール等のお返事も滞っていてごめんなさい。
詳しくはまた改めて綴らせて下さい。とりあえずご報告までに。



蛙の歌が心地よく響く夜。心はこの森と向こうの森が繋がりはじめています。
それでは、穏やかな夜を。

「狐と葡萄」のホットミルク。

01 20, 2017
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睦月 月齢22

ヤマブドウ。
それは、私にとって幼い頃覚えた味と物語に繋がる。


実家の近くでヤマブドウが採れたわけではない。
私にとって、ヤマブドウは街の味なのだ。


年に何度もないけれど、母と一緒に街に買い物に出かけると、帰りに喫茶店に連れて行ってくれることがあった。
カウンター席しか記憶にないが、とても小さいお店だったことは確かだ。

大通りからは外れた、何度行っても覚えられないその路地に、その店はあった。
長細い店内、暗い部屋に映える窓からの僅かな射光、奥から聞こえる掠れた音楽、そして珈琲の香りと湯気の湿り気。
カウンターの椅子が高く、私は母にひょいっと持ち上げてもらって席につく。

色とりどりで形も様々な珈琲カップが、店主の背景に隙間なく並べられている。
その店を訪れるお客さんの数だけ専用のカップがあるのではないかと幼心に思っていた。
実際、母は言わなくとも、いつも同じお気に入りのカップにサーヴされていたからだ。


カウンターの上にもカップやグラスなどが置かれていて、私からは店主の顔は見えず、グラスの間から時折見える手を眼で追っていたので、何か聞かれても私はキチンと答えられていたとは思えない。
珈琲を入れるサイフォンが秘密道具のように映り、その店に行くと眼に入るもの全てが魔法に見えて、言葉を失うのだ。


店主の女性は、当時の母と同じくらいの歳だったと想像する。
私たちが行くといつも、声を大きく弾ませて店の奥へといざなってくれた。
顔は全く覚えていないのに、店主の笑顔のイメージだけは感覚として今も残っている。


母は、誰も知らない田舎の地に嫁ぎ、友だちもほとんどいなかった(作らなかった、という方が正しいか)。
だが、この店の店主とどう知り合い、仲良くなったのかは謎だけれど、幼なじみなのかと思うほど話に花を咲かせていた。


話をしながら、店主は注文もしていないのにカップとグラスを手元に呼ぶ。
母には珈琲、私にはヤマブドウのジュースと決まっているのだ。



グラスいっぱい満たされたクラッシュドアイスが、ヤマブドウの鮮やかな紅紫色が徐々に染まってゆく。
そのグラデーションが落ち着き、並々と注がれたそこにストローが身を浸ける。

そっと差し出される白いコースターと魅惑色したヤマブドウジュース。
クビをキリンのように伸ばしてストローと出会う。




ヤマブドウよ、ようこそ、私へ。




私はこのヤマブドウのジュースが大好きだった。
本当に大好きだった。

葡萄ジュースみたいにしつこく甘くなくて、酸っぱい。そして爽やかな甘味が残る。
ゴクリとすると、アゴと耳たぶの付け根境あたりがキュンと喜ぶ。

未だに忘れられないご褒美の味。



この店に行く時、母は「アスカ」と呼んでいたが、店の名前だったのか、店主の女性の名前だったのかはわからない。
店の情報は何一つ知らないまま。今でもあるのかすらもわからないし、母にも尋ねない。

森の味を街で。

それは、中々良いものだった。


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ヤマブドウのコンフィチュールを。
冷凍したものでも作りやすい。
鍋に残るこの色がたまらない。だからホーローの白鍋で作ると決めている。

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幼い頃覚えた物語がある。
イソップ童話の「狐と葡萄」だ。

あの中で、狐が一生懸命ジャンプしてもどうしても届かない葡萄は、ヤマブドウのことだと私は思っていた。
「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と狐は捨て台詞を吐いて去る。

ヤマブドウは葡萄に比べて実も小さいしシワシワになりやすく、酸味が強い。
葡萄を食べられなかった狐の負け惜しみだったのかもしれないけれど、酸っぱい葡萄=ヤマブドウだって美味しいのにな。と思っていた。
そして、「食べてみないとわからない」という教訓だと解釈していた。


いずれにしても、狐くん、「届かぬものは残すためのもの」ってこと。
私はそう思うよ。


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鍋に残ったヤマブドウのシロップ状になった液がもったいない。
ミルクを注いで、ホットヤマブドウミルクにする。
これは、ちょっととっておき。

酸味を残したいから、ジャムではなくて軽いコンフィチュールに。
コンフィチュールはヨーグルトやクリームチーズと一緒にクラッカーに添えても美味しい。


大人になった今、そんな楽しみも覚えましたよ、アスカさん。


狐が雪の中をジャンプしている姿をイメージしながら、遠い記憶が暖かい。
そんな一息をいれられる午後が嬉しい。


大寒。
心暖かくお過ごし下さい。



野草粥のススメ 〜七草粥〜

01 07, 2017
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睦月 月齢8


澄み渡った青空、ヒンヤリとした空気。
冬らしい日だった昨日、七草を集めにいきました。


お正月をはじめ、日本の風習は実に美しい。
1月7日の朝に七草粥を頂く風習も然り。


現代では七草粥を「正月のご馳走で弱った胃に」という考え方もありますが、冬のこの時期の「若菜摘み」自体に、無病息災を祈って行われていた習わしは元々あったそうです。

小寒に入り冬が本格的になると畑の青菜が少なくなるので、野草を摘んで栄養を頂くということだそう。

「春の七草」と呼ばれる通り、もう少し先に開花するものの、花開く前の冬の寒さにも負けじと葉を広げている野草や野菜は、実に強いエネルギーを備ていると思いませんか。


というわけで、いざ若菜摘みへ。


【春の七草】
セリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ(ハコベ)・ホトケノザ(コオニタビラコ)・スズナ・スズシロ。


スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)が家にあることを確認して、残り5種の野草求めて山を下り里へ。

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この季節、遠目では一見、乾枯し荒涼とした景色に思われがちですが、

その足元には若葉が広がっています。

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このフレーム内に何種類の野草を見つけられますか?

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この2つの写真内だけでも食べられる野草でいっぱいです。

そう聞くとワクワクしませんか?(私だけかしら?)

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まずはハコベ。

見つけやすい上にボリュームあります。
ですが、味が主張するので量的に集めやすくとも控えめがオススメです。

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注意したいのが、
七草でいう「ホトケノザ」は、↑この「ホトケノザ」ではなく、コオニタビラコ(小鬼田平子)のことです。

それにしても、この時期に咲く野の花というのは、可愛さ倍増!

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「ゴギョウ」はハハコグサのこと。

白いベルベット状な葉は、見つけやすいですね。


という具合に、フラフラ散歩。

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山に戻り、フラフラ。

もう紅梅が満開です。

見とれていると、エナガご一行が近寄ってきました。

私は鳥の中でもエナガちゃんが特別大好き。
彼らは手が届きそうな距離まで(時に羽ばたきの小さな風を頬で感じられるほどに)近寄って来てくれる愛嬌良し。

ご一行が通り過ぎてゆくのをフンワリと待つことほど幸せな時間はありません。
もうお粥のことなんて忘れてしまっても良いくらい。

(そもそも、ここまで戻って来てしまってはセリには会えないし・・・
ナズナもコオニタビラコも、見つけられなくはないだろうけれど、ここまで満たされてしまったら、もう十分無病息災祈願済みだよ、きっと・・・)

と思いながら歩き出すと・・・

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オニタビラコ。
コオニタビラコではないことに溜め息。

と、思わず溜め息をついてしまった自分にハッとする。
「溜め息!? オニタビラコに出会えたんだよ!この季節に!しかも花ついているじゃないの!」


目的をもって野草摘みをする上での盲点。

こうなると、申し訳ない気持ちが勝って、オニタビラコで手を打つか・・・なんて気すら到底起きるわけもなく・・・
(そもそも、コオニタビラコとオニタビラコは似て非なるものだけれど)

ふと、手がかじかみはじめている事にも気づくと、夕焼けが色濃くなっていました。

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梅も夕焼けておりました。
辺り一面、梅の花の香りで包まれています。

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(もう帰ろう)

と歩き出す先に、、、

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夕焼けるナズナ。

その先にもナズナ、ナズナ・・・


何だかねぇ。
こういうのが、何だか申し訳なく感じてしまうわけです。

ありがとうねぇ、と少し摘ませて頂き家路に着くのでした。

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そして7日の朝。

朝食前に若菜摘みの続きへ。

その結末は・・・


七草が八草に。

そして何やらちょっと、あれ?が。


*答えがわかった方、こっそりメールください。正解の方には森の新年のご挨拶ギフトをささやかながらお贈りいたしましょう。

coobluemoonアット(@に変換してください)gmail.com



「8は末広がりでいいじゃない」と言われ、
「それもそうねぇ」と。

丁度月齢も8日目ですし。


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こうして実際に若菜摘みをして思うのは、
七草全種集まればそれはそれで良いけれど、若菜を摘むという行為自体がとても健康的な仕事(?)初めだなという事。

小寒を迎えた今、お年賀から寒中お見舞いに移り、冬が深まりゆくわけですが、身の回りには春を予感させる野草たちがこうして芽吹いていると知れる事。


そういうことこそ大切な事のように思えるのでした。



七草粥に限らず、若菜摘みで野草粥を。

身体が温まり、野草パワーを丸々取り入れられ、朝のスタートにもってこい。


冬は気持ちも内に入りやすい季節。
こういう形で野草を時々いただくのもいいなと、改めて思います。


3連休ですね。
若菜摘みに出かけてみてはいかがでしょう。

あなたの周りにも、沢山の芽吹きがあることに気づかせてもらえると思いますよ。




・・・・・・・・追記・・・・・・・・


野草摘みにおきましては、毒草との誤採取をさけるための知識が必要です。

七草に関しましても、例えばセリとドクゼリのように生育場所を同じくしているものもあります。

とはいえ、野草に触れる敷居を感じるのではなく、情報を知識としてとらえるのでもなく、自然の中を散歩しながら少しずつ触れ合ってゆく中で学ばれることをオススメします。

野草を知るには毒草を学んだ方が早いともいわれますが、知る事で楽しくもなり、自分をも救うことになります。


また、知っていると過信する事なく、常に自分を疑う心も大切だと思います。

これらは、「毒学」というワークショップでもお伝えしてきたことですが、改めましてここに追記として綴らせて頂きました。


皆さんの好奇心と学びが、バランス良く自然と共にあることを願います。


Coo記




御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

01 03, 2017
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睦月 月齢4日

新年のご挨拶を申し上げます。


ここだけの話、
我が家は到底新年に間に合いそうにない年の瀬だったため、

樹さん:「我が家は世間から2日遅らせよう」
との提案が。

つまり、1月3日を我が家では元日とする、という。


私:「そうねぇ、休日がなくて長く感じる6月辺りに、2日ほど早めて帳尻を合わせましょうかね」
とちょっと安心した師走30日、、、


と思いきや、諦めた途端に諸々を手放せたようで、
世間のカレンダー通り新年を迎えられた奇跡。


とはいえ、おせち料理は簡易的に。
気づけば御屠蘇用の日本酒の用意を忘れていました。


というわけで、森のお酒をいただくことに。

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果実酒専用の棚に並ぶ数ある瓶から選んだのは、


梅の花酒。


かれこれ10年ほど前に摘んだ花たち。

裏高尾の森で、雪の上に舞い落ちた花を集めたもの。


あの時の記憶と、今この時が、
あの森と、この森とが、

ひとつになる。



花酒を口に含むと、満開に咲きほころぶ梅林の光景が広がりました。

殊に、私が好きな、雪の日に香る梅の花の残像が浮かぶのでした。

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あぁ、今年も梅が咲く季節を迎えようとしています。

新しい年のこの季節を迎えられたことへの喜びが広がりゆく。



御屠蘇代わりに、季節を味わう花酒を。

これは中々良いものです。


というわけで、我が家らしいお正月となりました。



さぁ、どんな年になるでしょうか。


皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。



アケビと山女。

11 15, 2016
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霜月 月齢15


アケビです。

通草と書きます。漢方では木通(もくつう。アケビの木部)。

山女と書いて、アケビの別名ともいいます。

なるほど、果皮の淡い桃色がかった紫色は、艶っぽい着物の色を憶わすし、果実のほのかで上品な甘さは、そのような着物が似合う女性が食していそうにも想えます。


とはいえ、アケビは蔓性植物で高いところに実を付けます。


アケビを摘んだ経験のある方はご存知でしょうけれど、樹の上や山の急斜面を這いつくばってでないと手に入れられない事が多い。

アケビ採りというものは、お淑やかな女性であっては、とてもじゃない、つとまりませぬ。


それ故に、「山女」という響きがピッタリだと、私は思うのです。



アケビは完熟すると、この写真のように、パカーっと一直線に割れて果実が現れます。

その開く一部始終を見てみたい。

それが私の夢でもあります。


ひとつ見つけると、蔓沿いに いくつか実が一緒になっていて、まだ開いていない物もあります。
そういう時は、ナイフでスーっと一線引くと、同じ様に綺麗に割れます。

その感触が私はこよなく好きで、ニンマリ。


あぁ、なんと美しい森の恵みなのでしょうか。


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(あ、そうだ。イシシシシ・・・)

ウフフフフ、ではないのが、山女らしさです。

カゴに秋を詰めこんで、「わー!」と言わせよう。

裏庭をぐるっと散歩しながら秋をひとつ、またひとつ・・・

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(シメシメ。)

蓋を明けたら秋が飛び出すビックリ箱の完成です。



・・・・・・そしてその夜・・・・・・・


「わーー!」

案の定。

(ククククク。)



アケビの果肉をスプーンですくって口に含むと、ふわーっと優しい甘さが広がります。

アケビは種が多い。
とにかく多い。

種ごと口に含んで、舌でクニャクニャして味わい、種を出します。
私はこれをすると、いつも口の中がつってしまうのです。

それほど種が多いということと、果肉を出来るだけ食べたい欲がそうさせるのです。


摘んだその場で食べるなら、機関銃のように種を吹き出しながら歩いて帰れば良いのだけれど、この日、夜な夜な、裏庭に種を撒きにウロウロ。

裏庭でアケビが採れるなんて、ちょっと素敵だもの。




さてさて、
アケビというと、果肉も美味しいけれど、私にとってメインは果皮です。

今まで、アケビをプレゼントしたことが何度かあるのだけれど、果皮も食べられる事があまり知られていないことを知りました。


どうぞ捨てずに!とっても美味しいのですから。


定番は恐らく、果皮を切って肉味噌(ひき肉)と炒める、でしょうか。

私流のレシピは、果皮を一口大に切らず、大胆にそのままで。
肉味噌の味噌をコチュジャンで作ります。味付けは醤油と砂糖。甘辛く。
果皮の果実が入っていた部分に、肉味噌を詰めて、オーブンに入れるだけ。簡単です。

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(↑焼く前)

ひき肉の脂が回って、アケビの皮が柔らかく焼けます。
ジュージューしてきたら出来上がり。


アケビの姿をそのままに。
カプリと頬張ると、アケビの僅かなほろ苦さと、肉味噌が良く合ってご飯が進みます。

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今年もこうして、私の中に秋が広がりました。


森の恵みを頂くということ。

それは、私が季節に染まり、森が私の中に息づくということ。


そうして、私はまた少し、森と近しくなった様に感じるのでした。

お上品な女性を目指すよりも、山女でありたい。
私はアケビを頬張りながら、ニンマリ想うのでした。



アケビさん、ありがとう。
森よ、ありがとう。




Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らし「ことり〜cotori〜」主宰。 三日月生まれ。 森と写真と黒猫と美味しいものと。 Coo、時々、久弥子。

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