一人静とカゲロウと。

05 17, 2017
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皐月 月齢20

二人静の側に、一人静が咲いていた。

二人静であっても、花はひとつの時もあるし、
一人静であっても、隣り合わせて寄り添い咲くこともある。

言葉に捕われず、ただその美しさを見つめたい。

そう思っていた夕。
蜉蝣が乱舞していた。その短い命のショーを吊り橋の上で眺めていた。

夕暮れの光りの中で、スーッと上へ、フワリと下へ、を繰り返す。そして命を紡ごうとしている姿を、ただ眺めていた。



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- 蜉蝣 - 陽炎 - 

カゲロウは、儚く消えた。



朝、吊り橋の袂に、一匹の蜉蝣の亡骸を見つけた。
朝市で買ったクレソンに、一枚の蜉蝣の羽根を見つけた。


何故だかよくわからないけれど、妙に心が揺さぶられる。


(私の命にもいつかは終わる。わかっているよ。)


「ソレナラ、今日ヲ、人ラシク生キレタカイ?」

そう問われている気がした。でもきっと、カゲロウはそんなこと問いてなんてなかろうに。




夕焼けがやってきた。
カゲロウはもういない。


今日も良い一日だった。
そう想える日は、本当に良い一日だ。








旅立ちの時。

04 23, 2017
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卯月 月齢25

山桜の花咲く季節を見届け、とうとうこの森から旅立つ日がやってきました。

「山桜が咲く姿を、今年はみれないかもしれない」そう思うと胸が締め付けられる想いだったのだけれども、様々な思いがけぬ流れになり、こうして今年もこの山桜の花綻ぶ姿に会え、見上げる私も綻び眺めて時が過ぎてゆくのでした。


思えば、裏高尾の森に暮らした月日に比べたら1/5に満たないのだけれど、森への思い入れというものは数では語りきれないものがあるのです。


日本百名山のひとつである筑波山の中腹に住めたという経験自体とても貴重でもあり、完全なるプライベートエリアをこの広い森の一画にもてた暮らしというのは、実に豊かで何にも比べようのないものでした。それらを叶えてくれた夫に感謝の想いでいっぱいです。


様々なことがあったここでの暮らし。楽しい事よりも辛い事の方が多かったのは事実なのだけれど、森が私を救い支えてくれたことはいうまでもありません。森と共に生き続けられたこの2年半は、短くとも私の人生の中で忘れられない日々として色づき、残された思い出は、今となっては全てが自分にとって必要な経験だったと言う事ができ、そのひとつひとつが彩り豊かで美しくさえ感じます。


この森が名残惜しい気持ちでいっぱいではあるけれど、新天地での森のある暮らしを楽しみに旅立とうと思います。
新たなページを開く時がやってきました。けれど、今までが本でいうところの前書き「はじめに」ページであったようにさえ思える展開が待っています。そのような気持ちで出発できることは本当に幸せなことです。


高尾山から筑波山へ。そして比叡山へ。



京都市内から大原に抜ける手前の比叡山の足元に引っ越します。今度は比叡山の森が私の日常になります。とりあえず京都暮らしがスタートです。そこからどこに落ち着くのでしょうか。私自身まだハッキリしていない事が実は多く、引っ越したらハッピーエンドではなく未知数です。けれど不安はありません。何故ならどう転んでも心はその先の先を見つめているからです。

数ヶ月前には想像もしなかった流れが既に始まっています。まさに冒険であります。少しずつ、ひとつずつご報告出来たらと思いますので、どうぞ暖かく見守って下さい。

日本では生まれてこの方関東にしか住んだことのない私ですが、みなさんお世話になりありがとうございました。関西方面の皆様、どうぞ(お手柔らかに)よろしくお願い致します。


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春の山。

「森の色が入学式の子どもたちの色みたいだね」と樹さんは春になると言います。
新緑が濃くなる頃、段々色が同じになってゆく。その前の今この時期の色がとても好きだと。

けれど、ひとりひとりのカラーが失われる事はないのかもしれません。内に秘める自分の色は変わらない。ただ、表に現れる色は少しずつ変化してゆくから面白い。山も人も。

そんなはじまりの季節に、新たな森のある暮らしをスタートできることを自然な流れのように思えて嬉しい。そんな明るい気持ちで出発です。


森よ、ありがとう。またいつか、戻って来るよ。また森語で語ろう。
また森で。




宙から降るものと、交わされる言葉たちと。

08 19, 2016
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葉月 月齢16


大地と背中合わせになる。

視界の端から端までが星空で埋め尽くされる。


ぼんやりと天の川。


瞬き。

またたき
まばたき

星と瞳とが、同光を放ち交信する夜。



ペルセウス座流星群。




ふと思い出される、もう10年ほど前に交わされた、ある男の子たちの会話。

あの時も私たちは夜空を見上げていた。

そして、大きな流れ星が夜空を割く様に走り去ってゆくのを目撃した感動を分かち合っていた。


だけれども、ひとりだけ見逃した男の子がいた。

「月に見とれていて見逃しちゃったよ、、、」か細い声で男の子は言った。

「月に見とれることが出来たなんて、それはそれで素敵なことじゃないか」力強い声で、別の男の子がすかさず言い放った。


その後、いつ流れるかわからない流れ星だけに神経を集中するよりも、
目の前に当たり前の様に宙の一部として浮かんでいる月に視線が奪われたのは、
きっと私だけではなかっただろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あっ!今流れた!」

流れ星に出会うあの瞬間の、あの感覚って、一体なんだろう。

つい声を放ってしまう。あれって、一体なんなのだろう。




流れ星を見逃すと、私はいつもあのふたりの小さな友だちが交わした言葉を思い出す。

「他の星々に見とれていたんだ」

(それはそれで素敵なことじゃないか。)


そんな風に心の中でニヤリとする。




「同じ流れ星を同時に見れたら、行きましょか」


私たちはそう決めると、再び夜空に身を委ねた。




その言葉の本意はきっと、
流れ星への執着ではなく、


「もう少し、ここでこうしていましょうよ」


とういう隠語であって、

ちょっと欲張りな、憧れにも似た宇宙への陶酔なのだろう。




そんな久々の実家への帰省から始まった旅は、あまりにも夏らしく、

お線香の香りがどこかで未だに香って離れず、

熱中症の名残りも残しながら、

入道雲と波のない静かな海との残像を、時々私の日常の中に重ねて現れる。





そうして、この森にも、
秋の空気が流れはじめました。



と、


書き終えようとした今、
ふっと窓から涼やかな風が私の窓から逃げ込み、髪を梳かしていった。


狐の嫁入り。
晴れ間のスコール。

雨上がりの光りの束。

宙から、いろんなものが降ってくる不思議。



もうすぐ夕焼けがやってくる。













夕立に花濡らす前に。

07 04, 2016
文月 新月

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その花は今まさに咲こうとしていた

人知れず

隠れるように
守られるように


一枚
また一枚と
花びらが広がる微かな音を
こぼすことなく集めるかのように

より優しく
よりたおやかに響くように

天上ドームの如く撓り覆い

その葉もまた今を包む様に広がっていた

人知れず

隠すように
守るように




季節移ろいは
時として残酷に

残像だけを置き去りにしす


その残像すらも消える頃
ひとつ飛び越えた季節の気配が訪れることだろう


夕立に花濡らす前に
消えゆく姿よ


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種は大地に託されて

大地は種を隠しもつ







生の奇跡と、死への軌跡。

06 20, 2016
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水無月 満月

生まれたてのその仔は、鼻に出産の名残りが暫くついたままだった。

キミは、初めての呼吸を覚えているかい?

キミにとって、初めての空気ってどんなだったのだい?



実は、この仔にはきょうだいがいた。

私が駆けつけた時には、固くなった小さな身体が丸まるようにして胎盤の側に横たわっていた。


産まれ息吹く命と、産まれても絶える命と。

私はその固くなった身体を一本の木の下に埋めながら、その紙一重のものごとを考えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから丁度一ヶ月経とうとしていた一昨日。

もうひとつ別の命が横たわり終わりを告げていた。

まだ大人と子どもの狭間を生きていたキミの身体は、ずっしりと重く、まだ暖かかった。

その横で、仔メェメは、無邪気に飛び跳ねては遊んでほしさに、何度も何度も、息絶えたその身体や私の背中によじ登っていた。

あまりにも急な出来事、あまりにも無惨な姿に、
私はその死を未だ受け入れられずにいる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この世には、

生きるだとか、死ぬだとか、

産まれる前に生となり得ぬ命だとか、

そんなこんなが同じく在って、

本来そのどちらにも境界線を設けるものではないはずだ。

生の奇跡と、死への軌跡。

本来そのどちらも同様に美しいものであるはずだ。


なのに、その命に触れたことで、その魂に意味付けをしてしまう。

防げた死、防ぎようもなかった死、などと分類したり、
もう少し早くその場に立ち寄れていたら、などと自分を責めもする。

こんなことになるのだったら、「またね」の後にもう一度抱きしめておくべきだった、などと後悔ばかりがつきまとう。


そんなことをしたって、死は生を齎さないというのに。



自分が生きている限り、死とは、いつも他人事だ。
その者の物語の欠片だ。

だが、そうした死に触れて流した涙や感情は、自分の生に刻まれる。


悲しさや悔しさ、後悔や残像を焼き付け、

人はどこかに死をもっている。

日々の繰り返しの中で忘れていようとも、

人はどこかに、その死(他者の死)と、この死(やってくるであろう自ずの死)をもっている。

だからこそ、その生と、この生が、繋がりをもつのだろうか。

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キミの生と、私の生が出会った場所で。

だから余計に、私はキミのことを愛おしく想っている。



Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 夫の樹さん、黒猫のヤブさんと私Cooこと久弥子、ふたりと1匹、森暮らし。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれ、など。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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