宙から降るものと、交わされる言葉たちと。

08 19, 2016
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葉月 月齢16


大地と背中合わせになる。

視界の端から端までが星空で埋め尽くされる。


ぼんやりと天の川。


瞬き。

またたき
まばたき

星と瞳とが、同光を放ち交信する夜。



ペルセウス座流星群。




ふと思い出される、もう10年ほど前に交わされた、ある男の子たちの会話。

あの時も私たちは夜空を見上げていた。

そして、大きな流れ星が夜空を割く様に走り去ってゆくのを目撃した感動を分かち合っていた。


だけれども、ひとりだけ見逃した男の子がいた。

「月に見とれていて見逃しちゃったよ、、、」か細い声で男の子は言った。

「月に見とれることが出来たなんて、それはそれで素敵なことじゃないか」力強い声で、別の男の子がすかさず言い放った。


その後、いつ流れるかわからない流れ星だけに神経を集中するよりも、
目の前に当たり前の様に宙の一部として浮かんでいる月に視線が奪われたのは、
きっと私だけではなかっただろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あっ!今流れた!」

流れ星に出会うあの瞬間の、あの感覚って、一体なんだろう。

つい声を放ってしまう。あれって、一体なんなのだろう。




流れ星を見逃すと、私はいつもあのふたりの小さな友だちが交わした言葉を思い出す。

「他の星々に見とれていたんだ」

(それはそれで素敵なことじゃないか。)


そんな風に心の中でニヤリとする。




「同じ流れ星を同時に見れたら、行きましょか」


私たちはそう決めると、再び夜空に身を委ねた。




その言葉の本意はきっと、
流れ星への執着ではなく、


「もう少し、ここでこうしていましょうよ」


とういう隠語であって、

ちょっと欲張りな、憧れにも似た宇宙への陶酔なのだろう。




そんな久々の実家への帰省から始まった旅は、あまりにも夏らしく、

お線香の香りがどこかで未だに香って離れず、

熱中症の名残りも残しながら、

入道雲と波のない静かな海との残像を、時々私の日常の中に重ねて現れる。





そうして、この森にも、
秋の空気が流れはじめました。



と、


書き終えようとした今、
ふっと窓から涼やかな風が私の窓から逃げ込み、髪を梳かしていった。


狐の嫁入り。
晴れ間のスコール。

雨上がりの光りの束。

宙から、いろんなものが降ってくる不思議。



もうすぐ夕焼けがやってくる。













夕立に花濡らす前に。

07 04, 2016
文月 新月

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その花は今まさに咲こうとしていた

人知れず

隠れるように
守られるように


一枚
また一枚と
花びらが広がる微かな音を
こぼすことなく集めるかのように

より優しく
よりたおやかに響くように

天上ドームの如く撓り覆い

その葉もまた今を包む様に広がっていた

人知れず

隠すように
守るように




季節移ろいは
時として残酷に

残像だけを置き去りにしす


その残像すらも消える頃
ひとつ飛び越えた季節の気配が訪れることだろう


夕立に花濡らす前に
消えゆく姿よ


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種は大地に託されて

大地は種を隠しもつ







生の奇跡と、死への軌跡。

06 20, 2016
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水無月 満月

生まれたてのその仔は、鼻に出産の名残りが暫くついたままだった。

キミは、初めての呼吸を覚えているかい?

キミにとって、初めての空気ってどんなだったのだい?



実は、この仔にはきょうだいがいた。

私が駆けつけた時には、固くなった小さな身体が丸まるようにして胎盤の側に横たわっていた。


産まれ息吹く命と、産まれても絶える命と。

私はその固くなった身体を一本の木の下に埋めながら、その紙一重のものごとを考えていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから丁度一ヶ月経とうとしていた一昨日。

もうひとつ別の命が横たわり終わりを告げていた。

まだ大人と子どもの狭間を生きていたキミの身体は、ずっしりと重く、まだ暖かかった。

その横で、仔メェメは、無邪気に飛び跳ねては遊んでほしさに、何度も何度も、息絶えたその身体や私の背中によじ登っていた。

あまりにも急な出来事、あまりにも無惨な姿に、
私はその死を未だ受け入れられずにいる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この世には、

生きるだとか、死ぬだとか、

産まれる前に生となり得ぬ命だとか、

そんなこんなが同じく在って、

本来そのどちらにも境界線を設けるものではないはずだ。

生の奇跡と、死への軌跡。

本来そのどちらも同様に美しいものであるはずだ。


なのに、その命に触れたことで、その魂に意味付けをしてしまう。

防げた死、防ぎようもなかった死、などと分類したり、
もう少し早くその場に立ち寄れていたら、などと自分を責めもする。

こんなことになるのだったら、「またね」の後にもう一度抱きしめておくべきだった、などと後悔ばかりがつきまとう。


そんなことをしたって、死は生を齎さないというのに。



自分が生きている限り、死とは、いつも他人事だ。
その者の物語の欠片だ。

だが、そうした死に触れて流した涙や感情は、自分の生に刻まれる。


悲しさや悔しさ、後悔や残像を焼き付け、

人はどこかに死をもっている。

日々の繰り返しの中で忘れていようとも、

人はどこかに、その死(他者の死)と、この死(やってくるであろう自ずの死)をもっている。

だからこそ、その生と、この生が、繋がりをもつのだろうか。

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キミの生と、私の生が出会った場所で。

だから余計に、私はキミのことを愛おしく想っている。



はじめまして、仔ヤギちゃん。

06 14, 2016
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水無月 月齢8

それは、5月の満月の早朝のこと。

ブブさんに、仔ヤギちゃんが誕生した。

去年の春から秋のはじめにかけて、ここcotoriの森で一緒に暮らした白ヤギのブブさん。
去年の秋にファームに戻り、種付けのため暫くの間、よそから雄ヤギさんが連れてこられていたのだった。

連れてこられたのは、スマートで毛並みも中々、イケメンかつ器量良し、私好みの雄ヤギだった。
私は内心、「こいつになら、ブブさんを嫁がせても、、、」と思っていた。


春になり、苺狩りは最盛期を迎え、あっという間に初夏となり、
気づくとブブさんのお腹が大きくなっていた。

これは期待出来る!
と喜んだものの、ふと見ると他の雄メェメさんたちも同様に横幅が成長している、、、
シーズン中、苺を沢山食べたメェメさんたち、、、

「お腹張ってるよねぇ、、、?」単なる小太り疑惑浮上。
「お乳も大きくなったよねぇ、、、?」想像妊娠疑惑浮上。

(いいんだよ、小太りで終わったとしても。健康ってことだから、、、)

お腹をスリスリさする日々。

もう春ねぇ、、、もう初夏ねぇ、、、もう梅雨だよねぇ、、、えーーっと、、、

(いいんだよ、本当にいいんだよ、スリスリスリ、、、)



「産まれました!」


満月の日の朝6:00頃、連絡が入る。

こうして無事、ちっさくて、柔らかくって、あったかくって、いい香りのする仔メェメちゃんが誕生したのだった。

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仔メェメちゃんがか細く鳴くと、
ブブさんは、側にいる事を伝えようと、囁く様に優しく声を発し、仔を安心させ守ろうとしていた。

ブブさんのそんな声を初めて聞いた。

あの甘えん坊なブブさんが、母している。

新しい命が目の前にこうして在ることに対しても胸があつくなったが、
ブブさんのそんな姿に、私はとても大きな感動を覚えた。

そしてそのふたつの命に関わっている自分自身も、その命の連鎖の和の一部であることを感じるのだった。

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ブブさんは、昼頃になると食欲旺盛に戻った。

やっぱりブブさんは、ブブさんだ。

ふと思い立って水をバケツにくんできて差し出すと、一心不乱に飲み始めた。

ヤギは草から水分をとるので十分らしく、普段ほとんど水を飲まない。
ただし、飲む時は犬や猫のように舌をペロペロさせず、口を水面につけストローを吸う様にチューーーッとする。

「チューーーぐふっ、チューーーぐふっ、チューーーー、、、」を繰り返していた。

思わず笑ってしまうのだけれど、出産というものがどれだけのものだったのかを物語ってた。

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落ち着くのを待って、仔メェメちゃんを抱かせてもらったのはその日の午後の事。

ブブさんはスリスリと甘えてきた。
私が仔メェメちゃんをかまっているとヤキモチを焼く。

その時だけは、母の顔ではなく、いつもの甘えん坊な顔をしたブブさんだ。
まだ幼さの残る女の子なのだ。

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産まれたての仔メェメさんは、立ち上がってはすぐに座り込んでいた。
抱っこすると腕の中でスーーっと寝おちてしまっていた。

まだ体力がないからなのか、
産まれることで疲れたのか、
それとも、、、

(どうか、どうか無事に育っておくれ)

そう祈らずにはいられなかった。

そんな仔メェメさん誕生初日だった。

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次の日。生後1日目。

私の心配をよそに、仔メェメちゃんはヤンチャに遊び回っていた。

そして早くも小屋からの脱走をはかり、走り回るほどになっていた。

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ひゃーーっ

足ぷるぷる

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そろりそろり、、、

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ずっ、ずびっ、ず、ずーーー〜

(滑れない滑り台の擬音語)

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澄んだ青みがかった目は、好奇心を詰め込んだかのよう。
目にするもの全てが「はじめまして」って素敵なこと。

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その次の日。生後3日目。

母の真似をして草ハムハム。
こうした真似っこから徐々に食べられる様になるのだろう。

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へその緒がとれて、かけっこもヤギとは思えないほど驚きの早さになってくると、
角もすこーし生えてきて、
頭突きの真似っこもするようになり、
そして、機嫌がいいとジャンプして踊る様になった。

ブブさんの血なのか、それともヤギってそういうものなのか、、、

いずれにしても面白いから、私も一緒にピョンピョン跳ねていた。

そんな昼下がり。

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そうして梅雨がやってきた。

これから苺は来季に向けての作業へと移ってゆく。
また季節が巡る。

ブブさんの初めての出産と仔メェメちゃんの誕生は、
苺シーズンの最後に、大きなご褒美のような出来事だった。

一年間、お疲れ様でした。

ブブさん、仔メェメちゃん、ありがとう。

ありがとう。


立春に。

02 02, 2016




如月 月齢23

それは、写真でいうところの、ピントとF値のようなものだ。

例えば、ある人がカメラを構えて、花を撮っているとしよう。
端から見ると、「あぁ、花を撮っているのね」としか写らないだろう。

けれど、その人の内には、
何をどう見る、
何をどうぼやかす、
はたまた、
何も見せない、
何もぼやかさない、
がカメラを構える瞬間には既に決まっている。

けれどそれを他者が読み取る事は恐らく困難だ。

だからこそ、その人のものとなり得る。


それと似ているのだ。
という前置きをここに添えて今日は綴りたいと思う。





立春を前に、
この場をおかりして、正直にお話しておきたいことがある。


ここ半年ほど行ったり来たり考えていた事がある。

それは写真のこと。
そして言葉にするということ。


写真を撮る必要があるのだろうか。
言葉にする必要があるのだろうか。


今更なのだけれど。
ものすごく今更なのだけれど。


私は
何を伝えたいのだろうか。
何かを伝えたいのだろうか。

そこに何の意味があるのだろうか。


最近、
みせるということに疑問を感じていた。

写真として、見たものを。
言葉として、心の内を。


「絵が描けたらな」と思う事がある。
絵を描けないから写真を撮ったり、言葉にしたりしているところがある。


ただ、写真というのはその人の視点そのものであり、
リアルにもごまかしがなく、
真っすぐに艶かしくもある。

だから、内臓の中まで見透かされる気がして、当たり障りなく在らんとすることで、逃げていたのかもしれない。
当たり障りない写真に、それっぽい言葉を添えて。


去年のある時から、偽っている気がしてならなくなった。



SNSがそうさせた、というのは実際にあって、
「いいね」といわれるようなものが溢れている世の中の流れに、自分ものまれていなかったか?と顧みる。


本当、くだらないね
本当、ださいね

そう想った。



自分にしかわからない世界があったっていいじゃないか。



意味がありそうでいて本当は意図的な嫌らしさが先立つものに嫌気がさした後には、
意味がなさそうで本当にないものを見せることに興味が湧いた。

自分にとって、のお話。


写真をはじめた頃の私がニヤリと笑った。


世の中は、本当はこんな何の為にもならないもので溢れている。


立春を前に、家の窓という窓を全て開けて新しい空気を入れ替えいたら、
ふとそれでいいのだと思った。



明後日は立春。

久しぶりの春がやって来る。


Current Moon
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プロフィール

Author:Coo
森のある暮らし「ことり〜cotori〜」主宰。 三日月生まれ。 森と写真と黒猫と美味しいものと。 Coo、時々、久弥子。

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