祇園さんと七夕の笹と、餅は餅屋のお話と。

07 11, 2017
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文月 月齢17

今にも降り出しそうな空を仰ぎ、私は寺町通商店街のアーケードへ足早に入った。祇園祭が初まり、京都市内はコンチキチンとお囃子が流れている。斯く言う私も長刀鉾の稚児舞いを一目見ようと、街での用事を済ませ四条烏丸に向かっていたのだった。

行き交う人々が手に何やら緑色して揺れるものを持っている。


笹だ。「あぁ、七夕は明後日か」と気づくのに少し時間がかかった。というのも、歳上の男性ばかりが笹を手にしていたせいかもしれない。そのシチュエーションは、笹=七夕、つまり色鮮やかな短冊をイメージしにくかった。


「七夕さんにどうぞ」

商店街で配られていた笹を有り難く頂いた。嬉しくなって歩くスピードが緩んだ。稚児舞いを撮影するには少々邪魔になるかしらとふと思ったけれど、笹の香りが爽やかで、そんなことはどうでも良くなった。


稚児舞いが始まると同時に雨が降り出した。雨の中、お稚児さんが舞う姿を観客の後ろの方で見守るお稚児さん役の男の子のお母さんの姿があった。今にも涙がこぼれそうな表情で真っすぐに舞いを見つめていた。その美しい姿にはとても心惹かれるものがあった。

こうして毎年受け継がれて来た歴史ある祭り事に、こんな日常の片隅で触れられるとは。京都の暮らしは面白い。そして贅沢だ。



帰り際、出町柳駅から川端通を背に徒歩1分ほど奥にある玉子屋さんに立ち寄った。おじいちゃんとおばあちゃんふたりで営んでいるこの店の玉子は、本当に美味しい。黄身の色が濃いものと、私の好きなレモン色の玉子と置いている。5個で80円。個人商店なのにこの安さ。心配になる。だから私は多めに買う。とは言っても二人暮らしだから10個。160円。終わったらまたすぐに来ようと心に誓う。

おじいちゃんとおばあちゃんがこの店をはじめたのは、昭和25年。「こんな小っさな店やけど、もう68年。あんた生まれてないどころの話ちゃうやろ。」と笑う。

他愛ない話を交わしていると、私が笹を手にしているのに気づく。「そーんな繊細な笹、見た事ないわ。どこで取ってきよったん?」と聞かれる。「いやいや、配ってたんですよ、寺町で」と答えると、ふたりは笹をサワサワ「ディケアのとこで短冊書いたけど、もっと大っきくてな、、なんちゅーか、、」「繊細じゃない?」と私が言うと、ふたりして口々に「そうそう」と大きく頷く。

「なんて種類の笹やろか」と聞かれて「はてー、なんでしょねぇ」と一緒に考え込む。笹か、、全然知らないなぁ。宿題もらった気持ちで嬉しくなった。「また来るね」と言うと、「ほんまに?おおきに。ほな、それまで生きてななぁ」と笑う。


私が京都に越して来て一番変わったのは、意外にも、森以外に街にも好んで出かける様になったことである。そして特に買い物の仕方に変化が現れている。

週1回ほどはスーパーにも行くけれど、野菜買うならあの市場のあの農家さん。果物買うならあの八百屋、漬け物買うならあの漬け物屋、厚揚げはあの豆腐屋、大福はあの和菓子屋。便箋はあの和紙屋かあの本屋、封筒はあの封筒屋。古本みるならあの本屋、タワシはあのタワシ屋で、、、と「餅は餅屋」になりつつある。それは頑張ってそうしているのではなく、自然とそうなった。何故なら安いから、そして確実に良い事がわかっているから。迷わなくて良いとはこんなにも楽か、と思う。交通費が数百円かかっても、京都の街は意外と小さいから、徒歩範囲で大概揃う。


「自給自足」やその延長線上の「丁寧な暮らし」も良いけれど、この「餅は餅屋」がずっと続いている京都の街の在り方も、真面目に丁寧な仕事をしている人からお金と引き換えに手に入れられることも、私は同じくらい尊いよね、と思う。

どちらにしても、その人にとって尊いと感じるものをひとつ、またひとつと増やしてゆける暮らしはちょっと贅沢だなと思う。
 
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家に帰り、玉子を取り出すと、産毛がついていた。そんな些細なことが何だか妙に嬉しい。

笹は、黒猫のヤブさんがシャリシャリ食べては毛玉を吐くのにも大活躍してくれた。肝心な七夕の短冊に願い事を吊るすのをすっかり忘れてしまったけれど、、、部屋の空気を少し軽やかにしてくれた、そんな気がした。


「京都の夏らしい暑さってこれかしら」と、市内に住む友人とメッセージを交わした今日。

カラカラになった笹の枝が気になり、「・・・確か川沿いのあそこに笹や竹林があったな」と。川で涼みついでに、笹を大地に返してこよう。

図鑑でも持って。

一輪挿しに生けるもの。

06 29, 2017
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水無月 月齢5日

大原の三千院をフラッと訪れたのはツツジが艶やかに咲き誇る時期だった。まるでツツジを絵画の様に鑑賞するかの如く開け放たれた小窓越しに花を眺めては、暮らしの中における庭木の愛で方に触れた気がして、どこか懐かしく感じた。

三千院の庭が素晴らしい事は言うまでもないが、私の心のずっと深いところに触れたのは、お手洗いに向かう薄暗い通路の隅に気取らず生けられていた花と、お香の煙が宙で消えゆくライン、そして その静かな香りだった。

暫し立ち止まり眺めていた。するとふと、ある一輪挿しのことを思い出した。



「食卓にそっと野の花を生けられる様にね。」

母がそう言って、一輪挿しを贈ってくれたのは、私たち夫婦が京都へ引っ越す直前の挨拶と父の墓参りのために実家を訪れた時の事だった。京都で学生時代を過ごした母は、京都行きを喜んでくれているようだった。

箱を開けると、銀製の一輪挿しが姿を現した。「重いから花が倒れなくて良いね」と母には言い受け取ったが、こんなお淑やかな花器は私の好みではないのに、、、野の花ならば尚更、もっと土臭い器や無骨な質感のガラスにザックリとさ、、、と内心想っていた。

そもそも野の花に関して私は「野の花は野にあるからこそ美しい」と日頃思っているので、野の花を飾る目的で摘むことはほぼない。摘むからには食すか薬にするなど何かに利用する目的があっての行為としている。庭や野の花を飾るのは、大切な誰かを家にもてなす時だけに限定される。

そんなこんなで、銀の一輪挿しは使われることなく引越し荷物の中でずっと身を潜めていた。



思えば物心ついた頃から、母とは考えや物の好みが合わないと感じていた。母は私たち姉妹に少しくすんだパステル調やらシックな色の服ばかり選んで着せた。筆箱も流行のプラスチックの物は絶対に買ってくれず、ランドセルとお揃いの皮製の赤い筆箱を用意し、靴もキャラクターのついた物はもってのほかで、渋い赤色に真白な紐で結ぶ靴しか買ってくれなかった。

「子どもには、もっとハッキリとした色を身につけさせるものですよ。そんな大人びた色はウンヌンカンヌン、、」と叔母に小言を言われても、母は耳をかす様子すらなかった。

今思うと、母も父も私たち姉妹には質が良く、大切に使えば長く使えて味が出てくる物を選び与えてくれていたのだとわかる。特別裕福だったわけではなく、すぐ壊れる安物は何度も買い替えることになるから結局高くつくという考えもあったのだろう。だが、幼い頃は皆と同じが良くて羨ましくもあった。

けれど、そんなこと言おうものなら、「あんな物がいいの?趣味がよろしくない。皆と同じである必要がある?」とピシャっと言われて終わり。そんな母だった。


当時筆箱業界に旋風が起こっていた。そんな中、千円ほどで買える多機能筆箱を就学しはじめの子どもが喜び使うよりも、自分のこだわりで何倍ものお金をかけて何の変哲もない革製のものを選ぶ母だった。姉は子どもの頃から妙に大人びていて、母の好みと合致していた様に思う。けれど私にとっては、どうみても友だちの筆箱は何かと飛び出したりして愉快で便利そうに見える。ゾウが乗っても壊れないとテレビで言っているくらいだから、きっと物凄く丈夫だろうに、、、と思っていた。(今思えば、牛皮にチャックがついただけの筆箱だって、ゾウに踏まれても壊れはしないのだけれど)

母の嗜好はハッキリしている上に、人に対する独特の観念がある人で、とても難しい人だった。母にしてみれば私の考えや行動が理解できないのだろうけれど、それは母の偏った考えに傾倒していないだけだと私は思っていた。


ただ、この歳になって気づかされることがある。相変わらず母とは価値観や思考は相容れないものが多々あるけれど、いつからか私も少しくすんだ色の物を好み、大切な道具などは買ってから他に目移りしないだろう物や、シンプルゆえに使うほどに味がでる余韻を持たせた物を探し吟味する傾向にあるのだ。

友人の出産祝いの品を選んでいても、母が当時私たち姉妹に選んでいただろうテイストの物を、こっちの方が可愛いのにな、と感じている自分がいる。今だったらキャラクターや多機能筆箱よりも、皮の筆箱の可愛らしさの方が断然良いと思ってしまう。ハッとし、いつの間に、、、と苦笑する。



母は、華道や茶道を若い頃から心得ていた。私にも幼稚園の頃から茶道を習わせたほど、自分の中に何か通じるものが息づいているのを感じていたのだろう。母は田舎に嫁ぎ家業を手伝うようになってからは、山の見回りのついでに良く花を摘んで来ては床の間などに生けていた。季節毎に掛け軸や絵画を替え、山の花を合わせ日常を楽しんでいた。そしてそれはとてもザックリと大胆な生け方だったと、私は今でも雰囲気として覚えている。そしてその雰囲気を造作なく作り出す母は、理屈ぬきに一人の女性として素敵だったことは認めざるを得ない。


そしてふと気づく。


銀製の花器は私の好みではないけれど、上手く使いこなせないから嫌厭している自分がいる。「母ならどう生けるのだろう、、」そう思うと、このスラリとしたフォルムの花器に、粋に生けられた野の花が実家の片隅でさり気なく在るのが思い描かれ、どこかノスタルジックな空気が耳の後ろ辺りから沈殿する様に広がっていった。


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先月、大原の朝市で紫陽花に目がとまった。何故かとても気になり、帰り際に一束買った。「花ごと水にドボンとくぐらせてから、水切りすると元気がなくなってもピンとします」と教えてもらった。そのおかげで、撓りはじめてはピンとし、を繰り返し、驚くほど長く楽しませてもらった。

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土の質感の荒い片口にバッと生けた。私には花の心得なんてないけれど、母の大胆さだけは引き継いでいる気がしたが、私はまだ妙にまとめようとして、器に生けるだけで空間に生けれていないことを痛感したのだった。


暫くしたある朝、母がくれた一輪挿しにシオギクの葉がポツリとさしてある事に気づいた。夫の仕業だ。先日徳島の義母と3人で岬を散歩した時に摘んでポケットに潜めていたものだった。何だかシュールな出で立ちで食卓にチョコンと居る。「難しく考えなくて良いのかもね。」と思わず笑った。

シオギクの葉を眺めていると、植物を生けることに対して身構えてしまうことは、とても勿体ない事の様に感じた。そもそも一輪挿しは暮らしの中に、構えることなく植物を添えるもの。野の花であっても、花屋に並ぶ花であっても。もっといえば、植物を生けるようで、植物との出会いや、手にした時の想いを生けている様なものなのかもしれない。母が言った「そっと野の花を生けられるようにね」の「そっと」の意味を感じ、何故一輪挿しだったのかを漸く理解した。


そんな風に少し力が抜けたところで、漸く梅雨らしい空模様になってきた。


夏至も過ぎ、今は三千院でも紫陽花が咲き満ちていることだろう。
雨がパラリときたと思ったら止み、ボワッと暑くなった今日。今夜は蛍が後り僅かと飛び交いそうだ。

とその前に、散歩がてら野の花に会いに行こう、そう想っている。



梅雨入りの波紋。

06 08, 2017
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水無月 月齢13


梅雨入り。


私の好きな季節、梅雨。この一ヶ月ほどの期間、毎年私の体調は優れなくなる。けれど大好きな季節、梅雨。

なぜだろか。

けだるい身体で眺める雨が好きだったりする。梅雨らしい雨が降る一日は、心がすーーっとする。

なぜだろか。




森を抜ける風がアヤメを揺らすよりも頻度を上げて、枝先に集まった雨粒が重力に誘われ放たれると、水面に映るアヤメを揺らす季節。

いつまでも眺めていられる光景が、この世界にはあるのです。


今年の梅雨入りを前に、私は大きな岐路に立っていた。それはこれからの自分の生き方を左右するものだった。
梅雨入りと同時に、ここ数ヶ月モヤモヤしていたものから身を引いた。
梅雨入りと同時に、心は晴れ渡った。一旦白紙にしたら、心弾む新しい考えが次々と降ってきた。

今私は、手放した空白に新しく入って来るものが何なのか、とても楽しみにしている。
本当に困り果てた末に親身に力になってくださった方々(夫も含む)に心から感謝している。この気持ちを忘れることのないように、次へ進みたいと思う。



波紋が静まる頃、私は水面下で動き出す。強い意志と共に。



ようこそ、梅雨。





一人静とカゲロウと。

05 17, 2017
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皐月 月齢20

二人静の側に、一人静が咲いていた。

二人静であっても、花はひとつの時もあるし、
一人静であっても、隣り合わせて寄り添い咲くこともある。

言葉に捕われず、ただその美しさを見つめたい。

そう思っていた夕。
蜉蝣が乱舞していた。その短い命のショーを吊り橋の上で眺めていた。

夕暮れの光りの中で、スーッと上へ、フワリと下へ、を繰り返す。そして命を紡ごうとしている姿を、ただ眺めていた。



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- 蜉蝣 - 陽炎 - 

カゲロウは、儚く消えた。



朝、吊り橋の袂に、一匹の蜉蝣の亡骸を見つけた。
朝市で買ったクレソンに、一枚の蜉蝣の羽根を見つけた。


何故だかよくわからないけれど、妙に心が揺さぶられる。


(私の命にもいつかは終わる。わかっているよ。)


「ソレナラ、今日ヲ、人ラシク生キレタカイ?」

そう問われている気がした。でもきっと、カゲロウはそんなこと問いてなんてなかろうに。




夕焼けがやってきた。
カゲロウはもういない。


今日も良い一日だった。
そう想える日は、本当に良い一日だ。








旅立ちの時。

04 23, 2017
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卯月 月齢25

山桜の花咲く季節を見届け、とうとうこの森から旅立つ日がやってきました。

「山桜が咲く姿を、今年はみれないかもしれない」そう思うと胸が締め付けられる想いだったのだけれども、様々な思いがけぬ流れになり、こうして今年もこの山桜の花綻ぶ姿に会え、見上げる私も綻び眺めて時が過ぎてゆくのでした。


思えば、裏高尾の森に暮らした月日に比べたら1/5に満たないのだけれど、森への思い入れというものは数では語りきれないものがあるのです。


日本百名山のひとつである筑波山の中腹に住めたという経験自体とても貴重でもあり、完全なるプライベートエリアをこの広い森の一画にもてた暮らしというのは、実に豊かで何にも比べようのないものでした。それらを叶えてくれた夫に感謝の想いでいっぱいです。


様々なことがあったここでの暮らし。楽しい事よりも辛い事の方が多かったのは事実なのだけれど、森が私を救い支えてくれたことはいうまでもありません。森と共に生き続けられたこの2年半は、短くとも私の人生の中で忘れられない日々として色づき、残された思い出は、今となっては全てが自分にとって必要な経験だったと言う事ができ、そのひとつひとつが彩り豊かで美しくさえ感じます。


この森が名残惜しい気持ちでいっぱいではあるけれど、新天地での森のある暮らしを楽しみに旅立とうと思います。
新たなページを開く時がやってきました。けれど、今までが本でいうところの前書き「はじめに」ページであったようにさえ思える展開が待っています。そのような気持ちで出発できることは本当に幸せなことです。


高尾山から筑波山へ。そして比叡山へ。



京都市内から大原に抜ける手前の比叡山の足元に引っ越します。今度は比叡山の森が私の日常になります。とりあえず京都暮らしがスタートです。そこからどこに落ち着くのでしょうか。私自身まだハッキリしていない事が実は多く、引っ越したらハッピーエンドではなく未知数です。けれど不安はありません。何故ならどう転んでも心はその先の先を見つめているからです。

数ヶ月前には想像もしなかった流れが既に始まっています。まさに冒険であります。少しずつ、ひとつずつご報告出来たらと思いますので、どうぞ暖かく見守って下さい。

日本では生まれてこの方関東にしか住んだことのない私ですが、みなさんお世話になりありがとうございました。関西方面の皆様、どうぞ(お手柔らかに)よろしくお願い致します。


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春の山。

「森の色が入学式の子どもたちの色みたいだね」と樹さんは春になると言います。
新緑が濃くなる頃、段々色が同じになってゆく。その前の今この時期の色がとても好きだと。

けれど、ひとりひとりのカラーが失われる事はないのかもしれません。内に秘める自分の色は変わらない。ただ、表に現れる色は少しずつ変化してゆくから面白い。山も人も。

そんなはじまりの季節に、新たな森のある暮らしをスタートできることを自然な流れのように思えて嬉しい。そんな明るい気持ちで出発です。


森よ、ありがとう。またいつか、戻って来るよ。また森語で語ろう。
また森で。




Current Moon
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プロフィール

Coo

Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 夫の樹さん、黒猫のヤブさんと私Cooこと久弥子、ふたりと1匹、森暮らし。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれ、など。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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