今、こうして私があるのは。

03 20, 2013
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弥生 月齢8

a signature

私にはコンプレックスがあります。
それは、自分の名前。
「弥勒菩薩」の「弥」を父は私の名前につけてくれました。
弥勒菩薩の様に、創造力豊かに、どんな時にも笑顔でいられ、その微笑みが多くの人の心を救う人になってほしいという、父なりの名前の意味が、私にとっては大きすぎて、いつからかCooと呼ばれる様になったのを良い事に、封印するかの様に本名を拒んでいた時期もありました。そう、写真展を開く様になるまでは。
そうして「久弥子」は父と、ふたりの古くからの友人だけが呼ぶのみとなっています。

ですが、写真活動の時だけ、本名です。
それは、写真は私そのもの、だからです。

3/29(木)から始まります写真展の作品が、粗方プリントが上がったところで、サインを入れて、暖かなお茶を一口。
「もう朝か・・・」とカーテンを開け、朝日登る頃の空の色を心に焼き付け、山からの鳥たちのさえずりに耳を傾けつつ、ふと振り返る。

私が今ここに至っているお話を。
少し長くなりそうですが、たまにはこんなお話も。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「写真を撮り始めたきっかけは何ですか?」と聞かれる事がよくあります。

高校で名ばかりの写真部員だったことは、あまり意味をもっていません。
英国留学時代に、植物の記録をつける日課で、毎日1枚は写真を撮っていたことは、多少は影響しているかもしれません。

けれど、もっと明確な理由が私の中にあります。


意識不明、闘病生活8年。


元登山家だった父。去年の夏に父が亡くなった時、高校時代からの山岳部のお仲間の方々が沢山集って下さいました。
「父は若い頃、どんな人でしたか?」と私が聞くと、「厳しい人でしたよ。でも、困った時に飛んで来てくれる人でした。」「男前でした。お姉さんも実に美しかった・・・笑」「写真が好きでね。1gでも荷物を軽くしなくちゃいけないのに、カメラだけは何が何でも持って行っていて・・・おかげで貴重な写真が残っていますよ」と。

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仲間を山で失ったことをキッカケに、父は登山を辞めました。
その後父は、空の写真ばかりを撮っていたと聞いています。
そして後に田舎に戻り、実家の家業を継ぎ、そんな時に出会ったのが、母だったようです。
母もまた、都会勤めに心身ともに疲れ果てて、群馬の田舎で住職をしていた叔父の元に暫く滞在して、何を幸せとするかを思い悩んでいた頃だったようです。

犬の散歩の時に、田舎道で出会ったふたり。

父の一目惚れだったとか。

私が父の形見にともらったスライドの写真たちは、山での写真ばかり。
母は、そのスライドを観せてもらった日、家から見えた大きな沼の水面に映った夕焼けがあまりにも美しく、「ここでこれからの人生を過ごせるならステキね」と結婚を決めたと聞いています。
茶道や華道を嗜んでいた母が、特に山野草好きだったことが、母に一目惚れだった父にとって功を奏したという笑い話です。

そうして、父のカメラが写し出すは、山や山野草や空から、家族のポートレイトへと移っていったのでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

殺風景な個室の病室で、私は今まで話した事もない様なことを、父と語り合ったものです。

私が心奪われたものたちを、父にも見せてあげたい想いで撮り続けた写真。
だから私の森での写真は、寄りの写真が圧倒的に多いのです。
「これ、これのここがね・・・」と父に話してあげたくて。

幼稚園の頃、大きくなったら一緒に山に行こうと約束したことを「忘れてはいないよ」と伝えたくて撮り続けた写真。
「ここ、いつか一緒にいきたいね」と父と約束の続きをしたくて。

忙しさを理由に、お見舞いにあまり行けなかったものの、病院に行く度に、とっておきの写真を数枚もって行っては父に見せていたのがキッカケです。

「お父さん、私ね、お父さんの子で、本当によかったなって思うの。」
そう言った私の気持ちに父は応えるかの様に、大きな涙一粒流したのが最後の会話でした。
「また来るね」と手を握って、あ、そうそう、写真を・・・と撮ったのが、私が撮った最初で最後の父の写真となりました。

「中指にホクロがあったんだね、お父さん。知らなかったよ」

私が幼い頃、いつも私の手をとってくれていた父の手なのに、気づいてもいませんでした。
カメラのファインダーを通して初めて知った事の1つとして、私の内に確かに記録されました。
私が知らない父のこと、本当は沢山あるのだろうなと、改めて思ったのでした。

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父が他界した夏の日、私は森の中で「つきのわぐま」の活動中でした。
木々の間から見えた空が限りなく澄んで青かったのを覚えています。

「知らされたのが森の中でよかった。」素直にそう思いました。
母は母で、姉は姉で、兄は兄で、自分が一番心落ち着く場所で知らされたと言います。

「狙ったね、きっとずっと、狙っていたね、お父さんの事だから」

お通夜の時、私は泣きながらも笑顔でした。
やっと一緒に山を歩けるねって。

兄が世界を巡る航海の旅に出たのも、姉が写真家を目指していたのも、きっと父の影響を多分に受けているわけですが、家族の中で山に興味を示したのは、私だけ。
山岳部の皆さんも、「血ですね」と笑ってくれていました。


父亡き今、私は何のために写真を撮ろう・・・
そう思う隙間もないほどに、気づいたら私は写真が好きで、私の「ライフワークの一部」というには、一部どころか、随分と割合の高いものとなった事でしょうか。

父が亡くなってから、初めての個展です。
今回は、私と一緒に森を冒険しているパレット冒険隊の子どもたちが冒険中に撮影した写真たちとのコラボ展です。

「沢山の子どもたちと何かひとつの事を一緒にやってみたいって言っていたものな」と、父も喜んでくれている事でしょう。

きっと父も楽しみにしていてくれている事でしょう。

私たちパレット森冒険隊が感じた森に、おひとりでもお越し頂き、これらの写真を介してでも、皆さんにもこの森に触れて頂けたら、嬉しく想います。


お父さん、あのね、私ね、、
今回の個展も、とっても楽しみなの

ねぇ、ねぇ、ちょっと聞いて、お父さん
山も、子どもたちも、写真も、大切な人たちを大切と思えることも、とっても幸せよ
ここまで色々とあったけれど、今がとっても幸せよ

今、こうして私があるのは、お父さんのおかげ
お父さんの子で、私、本当に良かったって、もう一度、そして何度も言わせてね

ありがとう、お父さん


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石井久弥子&パレット森冒険隊写真展「心象の森 - forest in me - 」詳細

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森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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