ヤマモモと、森の住人たちと。

07 22, 2015


文月 月齢6

梅雨が明けた今、あれは夢だったのだろうか、、、

そんな出来事が、森の中では時々起こります。

けれど、これはそれほど非現実的なお話でもなく、

森に住むものとしては極々日常的に起こる森事の一つに過ぎない事を、

森に残された痕跡たちが教えてくれるのです。

そう、これは、確かに起こったお話です。




梅雨の晴れ間だったその日。

私はヤマモモの実を摘んでいました。

ヤマモモの実は、とってもとっても美味しい。

粒が大きく親指の第一関節大ほどあり、食べ応えもあるのだけれど、大きな種があって、実際どのくらいの果実量なのかは、ご愛嬌。

ヤマモモの実は、爽やかなグリーンから優しい黄色、そして可愛さ限りない赤から漆黒がかった紅色へと変化してゆく。

いっぺんに熟すのでなく、熟し具合が実によってずれるため、完全に熟す前はカラフルに、なんとも可愛いオーナメントが飾られているかのようで、半年早いクリスマスツリーであるかのようで、私は好きだ。

私がイギリスでガーデナーとして働いていた時、担当だった庭の入り口にこの木があった。
その実を摘んで帰り、よくジャムやシロップを作ったものだ。


ここに住む事になって、そんなヤマモモの木が庭にあることに気づいた時は本当に嬉しかった。
そして、ヤマモモの実がタワワになってくると、ワクワクがとまらず、熟し具合を確認しては、ふふふーとニヤニヤしていたのだった。



その大きな実を頬張ると、口いっぱい甘酸っぱさが広がる。

先日、イチゴ農園でのお手伝いのお茶菓子に持っていったら、「何かの味に似ている」と話題になった。

「あ!わかった!グレープフルーツだ!!」と言われて、
「えー?そんなぁ〜、、、」と一粒口に放ってみると、、、

なるほど、ジュワッと噛み締めた瞬間が確かに。
もうそうにしか感じられなくなってしまった。

赤色が落ち着いた深みを含み熟してくると、酸っぱさも和らいで食べやすくなる。
そうなったら食べごろ。

果実酒などには、完熟する一歩手前くらいが私好み。



沢山摘んでも、まだまだあるよ。
といわんばかりの豊作で、嬉しくなってしまう。

また3日後くらいに摘み時かな、と残してニンマリ。

575A8519.jpg

流水にコロコロする、泡とヤマモモの実が、とてもとっても愛おしいのでした。

1/3はキビ糖をまぶして冷凍。
夏の暑い日に、そのまま食べる用に。

1/3はヤマモモ酒に。

1/3はヤマモモシロップ用に冷凍保存。

これから熟す分は、シロップ追加分かな。

そういう予定でおりました。



「明日摘もうかな」

そう想っていた次の日の朝。

白山羊のブブさんと庭をグルッと散歩して繋ごうとすると、何かが変だ、と感じた。

なんだろう、、、と見回すと、、、

「ない!!」

ヤマモモ木の私の背丈くらいまでの枝が、ごっそりなくなっていて、地面に落ちている。

木の周りは、草が踏み固められていた。



地面をよーく見ると、状況が読み取れた。

写真では難しい部分もあると想いますが、あなたは主の姿が思い浮かびますか?


例えばその足跡に重なって、その主が立っているのが浮かび上がる事がある。
私レベルでは簡単にそこまで感じられる事は少ないのだけれど、時にあたかもその主に対面している感覚にすらなることがある。

それは夢の中で実体験しているかのように、実にリアルな肌感覚だったりする。

それは、スピリチャルなことでもなんでもなくて、自分の今までの森での経験(森の住人たちとの出会い)を通じて、その痕跡の主が少しずつでも自分の内に息づいている、ということなのだと思うのです。

もちろん、自分のイメージの世界でのお話なので、その主の細部をどこまで忠実に再現できているかを再考するに、かなりディフォルメされている部分や、曖昧になっている部分もあるようで、我に返ってまだまだだなーって反省するのだけれど。

次出会った時には、その部分を見逃さずに確認しよう、と励みにも楽しみにもなる。


トラッキング(痕跡を読み解くこと)を少しでも学んでいると、森のある暮らしでは、良い面も悪い(?)面もあると私は最近感じている。

良い面というのは、「何故」「誰が」ということが少しでも飲み込めるようになると、トラッキングへの集中力と楽しいという気持ちが先立って、「せっかく楽しみにしていたのに、、、」などと言葉にしたとしても憎悪はわかないというか、その動き(滑ってるよ、、プププとか)などから、ある種の微笑ましさに転換されてゆく、ということ。

それがゆえに、悪い(?)面というのは、
ご近所さんたちが鳥獣被害で頭にきて森の動物たちの陰口を言っても、話に乗れないということ。


この話は長くなるので、別の機会にでも・・・


「まだ木の上の方には残っているし、また明日摘もうかな。」そう話していたのです。




次の日の朝。

お仕事に出掛けようとした樹さんが、何やら急いで庭にくるように、と言う。



見事に消えたのです。
ヤマモモの実が。

きれーいになくなりました。
木のてっぺんのてっぺんにあった実までも。

今度はぱっと見、痕跡もなく。

そうなってくると、鳥?でも、口大きい子だよね?
考えられる鳥って、、、んー。。はたまた鳥じゃない?!
だとすると、、、


なんて、がっくり。
だって、残念なのは残念なのだもの。


がっくりしていたら、山桜の幹にとまった夏らしいこの子に出会いました。




森の住人たちは、今日も今日を生きています。

私たちは、あくまでも後入りで、この広い山からみたら、その片隅、チッポケなこのエリアに住まいを構えさせてもらっているにすぎません。

そう考えると、ヤマモモはきっとずっと昔からここで実を付けては、森の住人たちの食料となってきたわけで。

彼らからしたら私が摘んだ実を、「あー!ヤマモモもっとあったはずなのにー!」と想っていたりして。
だって、絶妙すぎるタイミングで現れているのですもの。


庭にあるヤマモモだって想っていたから、沢山いただいちゃって、、、でも、森に暮らすということは、境がある様でないってことだったねぇ。

とちょっと反省したのでありました。

森に住み始めて10年以上が経ちましたが、まだまだな日々です。
(これは私のライフワークのひとつなので、10年ごときじゃ当たり前なのだけれど。)




そうそう、このcotoriの森には、毎晩のようにあの足跡の主がやってきては、何か掘り返して行ったり、ちっちゃな池(という水のたまり場)でヌタ打って行ったりしているようで。

そんな彼らなのだけれど、こんなものを掘り出して残してゆきました。

ん?鹿さんのようで、、、山羊さん?w


白山羊のブブさんが襲われずにいる事を、ご近所さんたちもホッとしているのだけれど、

もしかして、もしかすると、、、

何か白山羊のブブさんは、彼らと何か同盟を組んだのかもしれません。


そんな風に考えると、全てが優しく包まれて、急に浪漫が溢れはじめます。

ですから、ここのところは、そういうことにしておきましょう。


森では、不思議なことが、当たり前のように起こります。

それは、夢のようであっても、森との約束にも似た何かを含んでいる様にも感じるのでした。



さぁ、パレット森冒険隊のみんなと一緒に、冷たいヤマモモのジュースを一緒にプハーっ!とできることを楽しみに、ヤマモモのシロップを仕込みましょう。



そうして、この森にも夏本番がやってきました。

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Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 夫の樹さん、黒猫のヤブさんと私Cooこと久弥子、ふたりと1匹、森暮らし。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれ、など。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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