オノマトペとサーカスと水仙月の四日と。

02 12, 2016
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如月 月齢3

立春が過ぎ、冬と春とが曖昧になりつつある、夕食後の一時。

ラジオから流れてきた、宮沢賢治と中原中也の作品にみられるオノマトペについての考察。

わかりやすい例をあげると、
宮沢賢治でいうところの「やまなし」カプカプ
中原中也でいうところの「サーカス」ゆあーんゆよーん ゆやゆよーん

そこまでは、流し聞きできるほどだったのだけれど、
話は宮沢賢治の「水仙月の四日」に及んだ。

私は小学校の頃が一番本をあさり読んでいたのだけれど、お気に入りの本は図書館のどこらへんにその本があったか、未だに憶えている。
「水仙月の四日」もその一冊だ。


水仙月の四日には、猛吹雪が訪れる。
自然に晒される死生観。

その数日前、雪が夜をかけて降り嬲った後の朝にシャッターを切った水仙と、
自分の部屋の棚にある絵本とが頭に浮かんだ。

あぁ、水仙月の四日がこの森にもやって来たのかな、、

そう思った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「宮沢賢治を好きだと言うのは、詩人や歌詞を書く者にとってタブーに近いものがある。言うまでもない。
それを敢えて公言する人を自分はどこか信用出来かねる部分がある」と樹さんは以前漏らしていたが、中原中也は宮沢賢治の名が此処まで知れ渡る前からこよなく愛し、本を持ち歩いていたほどだとラジオは言う。

私にとって、中原中也はとても好きな詩人のひとりだ。
信用ならないと言われたっていい。
私は詩人でもミュージシャンでもないから。

中学で新しい年度に新しい教科書を配られると、まず国語の教科書のページを泳がせ、詩を探したものだ。

一辺の詩に激しい衝撃を受けた。
それは「月夜の浜辺」だった。

「そりゃあ、捨てられるわけがないよ!!」と思わず叫んだ。
前の席のクラスメイトが振り返った時のギョッとした顔を今でも忘れられない。


その瞬間、中原中也は私の心の内に、ちっちゃなフックを取り付けていった。


だけれど私は、ずっとその題を「月夜のボタン」だと思っていた。
つい数年前まで。



話は戻ってオノマトペ。
全く参るよね、ゆあーんゆよーんだなんて。
そんな風にサーカスを表現されたら、かのP.T.Barnumも喜ぶだろう。

高校生の時に、P.T.Barnumのサーカスを観に誘われて行った事があるのだが、まさに、ゆあーんゆよーんゆやゆよーん、だった。

サーカスに入団したいと本気で思った。
ライオンの世話係からでいいからと、誘ってくれたホストファミリーのお父さんに話したほどだ。


その話は長くなるので、また別のお話で。





詩はいい。
すっと読めて。
なのに、どこか引っかかっているらしく、ついまた時を隔てて再び手にしてしまう。
そして不思議と読む度に感じることが違う。

歳を重ねるほどに、懐かしくも初めて触れたかの様な感覚を与えてもくれる。


水仙の香りが少しずつ色味を変えるのと同じくして、
または、
季節が過ぎ去り、その香りを忘れかけた頃に、再び季節が巡って来てふわっと薫る、
そんな感じによく似ている。


そして私は、自分の内にも季節があることを知る。
決して失われたわけでも、忘れてしまったわけでもないことを。

それは日々、とくとくと鼓動を震わせている。

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森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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