蕗の薹の透明度と種の可能性を内包するもの。

03 26, 2017
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弥生 月齢27

菜摘み。
蕗の薹。


蕗の薹が開いてゆく様を数日見守っていた。


冬の風に頬がチリリとする季節から、揺れる髪と髪の間に仄かな陽射しが射し込む季節へと移行してゆく曖昧なインターバルに、ふと「あ、、、そろそろかしら」と脳裏によぎる野草。 その感覚は、周辺視野の最も端っこを掠めるカケスの残像に似ている。 そして毎年その感覚に狂いはない。蕗の薹のいる場所へ向かうと、「どうも」と芽吹いている。


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ファインダー越しに、今年も出会う。その透明度に驚かされる。ドキッとさせられる。こんなにも透き通る緑がこの世に在ることへの感動が私を襲う。
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蕗の薹の花に吸い込まれる様に見つめると、星空が広がっている。それらはギャラクシーそのもの。私はキョロキョロする。「ねー!ねーぇー!」と誰かに教えたくなる。だれもいないのだけれど。ヤマガラが通りかかった。何食わぬ顔で飛んでいった。


そんな話は夫にはしないのだけれど、夜の食卓に蕗の薹の天ぷらを添えた。我が家の庭にはいくつか株があるが、今年もひとつだけ摘んだ。こうして残しては、少しまた少しと増えた。なので、今年も半分こ。

小さな蕗の薹を半分。食す。

爽やかな青味の後をほろ苦さが追う。その後を春の喜びが全私を包み込む。


「ようこそ、春。」


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そうして春分がやってきた先週末。コートを置いて出かけた。春が堂々と懐の大きさをここそこに表現していた。春を身体いっぱい感じながら、生まれたばかりの子ヤギたちに会いに行った。

そして春分が訪れる19:29を想定してその少し前。コートを着込んで出かけた。向かう先は決まっていたので、私は夫を待てずに先に家を出て歩き出した。

私が石ころ蹴りをしながら歩いていると、あっという間に樹さんに追い付かれ、「子どもか」と追い抜かされた。反論しようとして止める。だって後数分で春分だとわかっていたから。


向かった先は去年樹さんが人知れずちっさな行動にでた場所。

この森の中で大規模な伐採が行われた土地がある。太陽光発電のソーラーパネル建設における住民運動が起こり事業は頓挫したのだった。当時、「良かったね」と人々は口々に言い合ったものだったが、丸裸になった大地はその後間もなくして話題にも上がる事もなくなり、そのままになっている。

「そのまま」というのは語弊があるかもしれない。それは人間サイドの言葉にすぎない。というのも、丸裸だった土地にも芽吹く植物たちが沢山いて、あっという間にパイオニアプランツたちが杉林に代わって森を作りはじめているのだから。



話は去年の春に戻る。



私は玄関先に残された樹さんの不可思議な行動の痕跡を見つけた。「この人は一体どこで、、、」と謎解きがはじまった。その行動の実行現場は裏庭だと推測していた。樹さんは裏庭に「実験畑」と称したエリアをもっていたから。ところが、彼が企んでいた事は、もっと広大だったことをずっと後になって知った。

彼は、夜な夜な伐採にあった土地に人知れず種を撒いていたのだった。夏がきて、秋がきて、冬になった。けれど芽吹きを確認出来ずにいた。


冬のある日。樹さんが種を手に入れないと、、、と言い出した。この人の中では未だに続いていることを知った。らしいな、と思いつつ、協力するつもりもなく私は「ふーーん」と聞き流していた。



2017年春分の瞬間19:29。
私たち夫婦は、荒れ地に種を撒いて歩いていた。暗闇の中、月明かりを頼りにその広い大地をフラフラ、サラサラと。

「意外とね、すぐに撒き終わっちゃうから少しずつがええよ」経験者のアドバイスを受け、私は気をつけながら歩いた。
二手に分かれようと言い合わせたわけではないけれど、自然と別々の方向へ歩き出し、お互いの姿が闇で見えなくなった。

斜面を登りながら撒き終わった頃に丁度再会した。歩いて来た方向を振り返ると、開けた空に月と星が輝いていた。私は呼吸を整え、小さく笑った。 家までの道のりで何か会話を交わすでもない。家に着くとただ「良い春分だったね」とだけ言い合った。


私たちはその花が咲き出す姿も、芽吹きでさえも確認は出来ないかもしれない。だけれども、私たちにとって実際の結果はさほど大切ではない。ただ、日常の中でふと、想像してニヤリとできるものがあるということほど、平和で幸福なことはないように私は感じている。



こうしてこの森にも春がやってきた。桜の蕾が大分膨らみだし、明日には一輪ぐらい、、、と話していたが、一夜明けたら雨が降り注ぎ蕾は閉じたまま雫を宿らせている。


桜が咲く頃になると、再び雪が降る。「冬に逆戻り」というけれど、どちらかというと冬が完全に去る前の春への挨拶の様に私は感じる。春の花や芽吹きを冬が掠め撫でてゆく。冬は実に律儀だなぁと微笑ましく思う。

そこには、例えば、蕗の薹の透明度や大地に撒かれた種の可能性をも内包している強さと優しさがある。
蕗の薹も芽吹きも、春の代表の様にイメージされやすいが、どちらも冬の大地の溜め息の産物のように、私には想えてならない。


小窓から雨が降り注ぐ森を眺めつつ、言葉を選んでは綴っている。
そんな休日も良いものだ。





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森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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