送り火に想うこと。

08 16, 2017
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葉月 月齢24

大きな花火をはじめて見たのは、6歳くらいだったろうか。家族で新潟の小千谷まで花火を見に行った事を覚えている。夜空一面を昼間にかえるかと思うほどの花火だった。

道の途中、私は側溝に落ち脛を大きく擦りむいてしまったのだが、はじめてみる光景にズキズキする足の痛みをも忘れて夢中に空を見上げていた。帰り道になって怪我をしている事を思い出し、急に痛くなって父に肩車してもらったことを今でも思い出す。「雪国の側溝は深い」という学び(確かかどうかはさておき)を得たのも花火大会の思い出のひとつとして忘れられない。

父は一年で元日しか家業を休みにしない人だった。その父が休みをつくり花火大会に連れてってくれたのは何故だったのか、今となっては知る余地もない。

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花火が開きかける瞬間の初めの輪が美しい。いつくるかわからない、その瞬間を待つあの感覚がとても好きだ。

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全て開き切った花びらは、複雑に光りを混じらせ踊る。

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そして、花火がチリチリに去る間際は実に美しい。一瞬で闇を追いやっておいて、いとも簡単に光りを手放すところあたりがにくい。

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花火は元々お盆にお迎えしたご先祖様を見送る送り火だったという。だから私は花火大会の時、花火を見ては空の天上を見上げる。
そして想い祈る。


今宵、京都は五山送り火だった。

朝食のパンを買うついでに街まで出た。大文字の送り火が灯ると、山が大きく浮き上がるかの様に存在感を増した。
私は空を見上げ父を想った。


7月末の父の命日以来、父のことが要所要所で思い浮かんでいた。8月に入り、父の写真や空に向かって相談する事が増えた(もちろん答えが返ってくるわけはなく、ただ話を聞いてもらっているだけなのだが)。

今年のお盆は、妙に父を近くに感じていた。何故かはわからないフリをして、何故かわかっている気もする。私が父をあちらの世界に送ったあの日に出会ったものがある。それは、この時期の庭に咲く薬草の香りと、深く繊細な音色だった。

その香りや音色を通じて、大切な人の死はただ悲しむものではなく、共に重ねた時を慈しむものであると父が最期に伝えてくれようとした計らいだったように想えてならない。


送り火を見つめながら、私はその香りと音色を鮮明に体感した。そして父に感謝した。




電車が混む前に家路に着いた。叡電は混雑を知らない素振りで走り出した。時折、車窓から大文字の送り火が見えた。修学院に着く頃、やや終わりを予感させる妙法の送り火も見送る事ができた。

山に戻り、吊り橋を渡る。吊り橋の真ん中で空を見上げると星が煌々と輝いていた。

川の音にかき消され気づかなかったのであろう2頭の鹿が吊り橋の下からこちらを見上げていた。ゆったりと走り去っていくのを見送ると、吊り橋を渡り切って家についた。


花火や送り火が美しいだけでなく、どこか憂いを秘めているように感じるのは、夏の終わりを予感させるからだけでなく、きっと自分の内に流れる血に触れ、今は亡き大切な人たちと繋げてくれるものだからなのかもしれない。


送り火に見送った夜、秋の虫たちの音色が微かに響いている。デスクトップの隣に置かれた父の写真立てに時折目を移しながら言葉を綴っている。

少しずつ秋を感じるようになった夜。今夜もとても静かな夜を迎えている。




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森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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