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ひとつ、また、ひとつ、と。

06 24, 2018
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水無月 月齢10


ひとつ、また、ひとつ、と。


「今日は、開いたかしら」 
梅雨に入るか入らないかの頃のこと。ドクダミが一斉に開花する中、私はある一輪にこだわり、その花の一部始終を見届けようと足しげく通っていた。何が私をそうさせたのかは自分でもわからない。


ひとつ、また、ひとつ、と。


ドクダミの花は、白い部分が総苞片と呼ばれる器官であり、花弁ではない。中央に立ち上がる黄色い部分が、花の集合体だという。つまり、花弁は存在しない。

この白い総苞片が開くと、中から花が姿を現すというわけだ。なんたるロマンティックさ。純白でありながら、どこか艶かしい。


梅雨らしい空が続いた。 その一輪のドクダミは、他の花よりも開花が遅れていた。そして漸く総苞片が開きはじめ、4つのうちの最後の一枚、となった。

私は、あれほど待ちわびていたはずなのに、急に見守るのをやめたのだった。



・・・・・・・・



その日の晩、蛍たちが乱舞した。


今年は蛍が去年よりも早く出始めた。そして数も多かった。朝まで降り続いた雨があがり、湿気を含んだ空気が沢の流れに押され、夏の勢いに任せ上に伸びた種々な草々や、垂れ下がる樹々の青葉の間を、無数の蛍たちが光を放っていた。

無数の蛍の光を見つめながら、カジカガエルの声と沢の音に耳を傾けた。

心が、すーっと平らかになってゆくのを感じた。そして私は、あのドクダミのことを思っていた。


・・・・・・・・



それから毎晩、家路の途中、吊り橋の上で蛍を探している。肌寒い日が続いたせいか、その後は日に日に数が減っていった。その度に、あの一輪のドクダミのことが頭をよぎる。


今日は、夕焼け実に鮮やかだった。散歩に出た。
「そろそろ、よいかしら」と、私はあのドクダミに会いに行った。そこに花の姿はもうないけれど、他の草に追いやられてはいるけれど、確かにあのドクダミはそこにいた。

当たり前のことなのだけれど、それが何だかとっても嬉しかった。


当たり前が当たり前でなくなるのには、自分の意志は関係ないことも時にはあるけれど、それが当たり前だったという事実こそが、酷にも尊く、自分が今ここに在る証しと成り得るのかもしれない。


ひとつ、また、ひとつ、と。

乗り越えて、手放して、そうして得るものは、手放したもの以上のものとなる。目には見えなくとも。



月に虹がかかっている。今宵も静かに穏やかだ。




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Author:Coo
森のある暮らしを綴ったフォトエッセイ。 裏高尾、筑波山を経て、現在 京都・比叡山にて。 森の事、野草や薬草のこと、森料理、日々のあれこれなど。 森の風があなたのもとにも届きます様に。

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